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SONIC YOUTH @ クラブチッタ川崎    1998年10月18日

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FUJI ROCK FESTIVAL '98 IN TOKYOで見たばかりのSONIC YOUTHのLIVE。今日は現地に早く着きすぎて時間潰し。チッタから道をはさんで反対側に位置するTOWER RECORDSへ。ここ1ヶ月ほど探していたBIKINI KILLの『SINGLES』を入店後25秒後に発見。ありがたみを57%焼失。

さて、LIVEの話。オープニングアクト(要は前座)終了後、午後8時くらい、SONIC YOUTH参上。しょっぱなから“Sunday”。普通。そう、普通。俺の中で何も生まれてこない。困った。客は最前列しか跳ねていない。寒い反応。俺とybkは、そんな後ろに陣取ったつもりはないのに、周りはいたってしづか。ここで俺一人飛び跳ねていると浮いてしまうので、リズムを取るだけ。他の3人がどんなインプロヴィゼーションをはじめようとSteve Shelleyの正確なDrumsに身を任せていれば良かったが、Steveもインプロ入ると、突っ立って見ているしかなくて困る。FUJI ROCKでは聴けなかったLee Ranaldo氏のVo.による“Hoarfrost”も聴けて満足だったが、NOISEにはどう反応して良いやら。最後のほうは立って目をつむって寝ていた。NOISEと照明と眠気とがまどろんでかなり良い感じ。前座がインパクトがあって、そっちのほうが鮮明に覚えている。困った。

買ったTシャツが小さすぎるのも困った。っていうか、俺のデカさのほうが困りの原因か。困った。
1998年10月18日かくだ

A NIGHT WITH THE REPHLEX ALLSTARS @ 恵比寿ガーデンホール    1998年12月5日

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さて、先週の土曜日の話でも書くか。まあ、結論から言えば、完全な、不完全燃焼とでも言うべき。

今回のイベントは、APHEX TWINことRichard D. James主催のレーベル、REPHLEX所属アーティストによるオールナイトイベント。
会場へ入るともう、なんか曲流している。ステージには誰もいない。まあ、午後10時会場、午後10時開演だったわけだが。俺達はTシャツ買って入ると、会場の端に座り込んだ。そのまま、正体不明の音楽が垂れ流しでかなり待った。俺はybkに「これって、いつはじまるとかあるのかな?」と聞いた。もう、踊っても良いのかな、なんて思ったりした。午後11時になる頃には人がいっぱいで、半分くらい座っている。床は、体育館みたいなフローリング。そのまま会場入ってから、1時間以上した頃日本人ののほほん系なのが始まった。ちなみに、オールナイトのくせに会場は出入り自由じゃない。トイレに行こうとホールを一歩出ると、喫煙可なのでみんな煙草吸いながらAPHEX TWINのみ目当てみたいな感じで、ウダウダやっている。ステージはやけに日本語上手、っていうかしゃべれる奴とか、3人くらいDJ入れ替わった。無理やり盛り上げようとしている。「踊れ〜!!」とか言っているのが面白い。「私はマネキン」とか言う歌付きの曲とか。正体不明の日本人女もステージで客を盛り上げようとしている。そういやDJとDJの間にSQUAREPUSHERの曲が1回だけ流れた。CDまんまだったけど。俺は興奮したが。

んで、もう結構良い時間。“Come To Daddy”かかって会場大盛り上がり。俺は使い捨てカメラを構える。MTVのスタッフらしき人がTVカメラ担いでうろうろし出した。でも、奴は出てこない。しばらくして、ステージではスタッフがセットを片付けだした。FUJI ROCKのように、ステージに隠れる小屋でも作るのかなとも思った。でも、片付けるだけ。奴は出てこない。んで、次に、『RICHARD D. JAMES ALBUM』の頭から4曲がCDそのまま流れ出す。今度こそと盛りあがるが、そのまま電気がついた。場内騒然。俺は、客のノリが悪いから、本人怒って出てこないんだなと思い、ybkに「チケット半額帰ってくるんだろうね。」みたいな話をしてた。そしたら、スタッフが出てきて、「今日はこれで終わりですゥ。」みたいなことを言った。みんな大騒ぎ。話を聞くと、どうやら開始してすぐと、終わり頃に奴は回していたらしい。また、会場騒然。奴は、ここの裏に作られたセットで確かにプレイしてました、と。俺は笑ってしまった。納得してしまった。みんなは怒っているようだったが。良く考えれば分かったことだ。俺はカメラなんか構えて何してたんだろう?奴がにこにこしながらステージ中央で無防備に皿を回すと思っていたのだろうか。開場してすぐ客が踊りもせずウダウダしていたとき、奴は裏でニヤニヤしながら皿を回していたのか。俺達がいつから始まりなのかと考えていたときには、もうとっくに始まっていた。

俺達はとっとと帰ったが、7時頃まで、粘ってスタッフに詰め寄る人がたくさん居たらしい。その頃俺はもう家に着いていたが。
1998年12月10日かくだ

BECK @ 中野サンプラザ    1999年4月11日

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BECK新章、遂に始動!! 「アフターODELAY」に築かれる革命、最新LIVEレポート!!
十分に長過ぎるマントをなびかせて彼は登場した。『MUTATION』ツアーに相応しく“Lazy Flies”で幕を開け、“Cold Brain”“Bottle Of Blues”と畳み掛けたこのBECKファミリーはまるで、いにしえのElvis PresleyのR&Rショウを彷佛させるような風情があった。“Jack-Ass”“The New Pollution”等の『ODELAY』からの楽曲が演奏されていく。時代がかったオーヴァーアクションをニコニコ眺めながら、観客はR&Rショウを心から楽しんでいるようだった。最後はやはり“Where It's At”そしてDJをはさんで“Devils Haircut”の公式とも言える流れで一気に演奏しきったのだった。

BECKって信用できる気がする。休むことなく研ぎすまされたいく知性は、自らの過去を乗り越える。僕はその終わりなきプロセスをいつも固唾を飲んで見守ってきたのだし、これからもそれは変わらない。
1999年4月11日ybk

MELVINS @ 三軒茶屋ヘヴンズドア    1999年4月17日

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BECKが鞭を振り回しているころ、俺は自分で作ったアセンブラソースに苦戦しながら、レートマッチングのモジュール修正をしていたのだろう。BECKの右の人が切れ味鋭いステップを踏んでいるころ、俺は空腹に耐えながら、GSMのデータを採取していたのだろう。DJ SWAMPが華麗なスクラッチでビートを刻んでいるころ、俺はAさんのプレッシャーを受けながら、ビット照合をしていたのだろう。ybkが“Where It's At”で手拍子をしながら、他のオーディエンスと一の体感を満喫しているころ、俺はディスプレイとにらめっこをしているHをよそに、天井を仰ぎながら深いため息をついていたのだろう。先日、仕事でBECK @ 中野サンプラザに行けなかったことはもういい。本題に入ろう。

太かった。その音の話ではない。 ヤツそのものが。この俺がみた写真の記憶にあるとおりの姿。STEREOPHONICSも首は太いが、それとは明らかに異なる材質の首。あのエクスプロージョンした頭を支えるにはあれくらいの首が必要なのかと納得してしまう。今日の主人公であるMELVINSのフロントマン、Buzz Osboneである。

どんなにKING BUZZOことBuzz Osboneが滝のような汗を流しながら叫んでも、そのHARDでHEAVYなDrumsやGuitarの音からは、HEAVY METAL特有のリヴァーヴのかかったようなウェット感はない。どんなにDale CroverがHARD COREなビートを刻んでも、そのすぐ後には曲がスローなテンポになり、暴れるだけのオーディエンスはそのカタルシスを十分味わうことはない。寝ている間に顔に落書きをされ、髪まで切られてしまったジム・キャリーのような容姿をしたKevinというBassistが、後の2人に必死についていこうとしても、身を任せられるようなGrooveが生まれるようなことはない。この、HEAVY METALのような、HARD COREのようなバンドが作り出すNOISEには、Thurston Mooreが作り出すそれに感じられるような、インテリ臭さはない。GRUNGEの父、GRUNGE最後の大物とも呼ばれるMELVINS。もし、GRUNGEと言うものが、NIRVANAの『NEVERMIND』を指すのであれば、MELVINSはGRUNGEではない。GRUNGEはコマーシャルで、一般的なものになったがMELVINSのその音は、アンチそのものである。彼らの一番売れたと思われるメジャーからのアルバム『HOUDINI』『STONER WITCH』からは、一曲しか演奏されなかった。

曲の速さを極め、周りのバンドが同じように速い曲を演りだしたから、曲のテンポを極端にスローにした、と言うMELVINS。先週見たBECKとはベクトルが明らかに異なり、客のニーズとは関係のないところで音楽を演っている。演奏終了後、オーディエンスをかき分け、出口へ向かうDale。俺の目の前で、納得のいかない客のこれで終わりかと言う問いに対し、YESと答え、彼は扉の外へ消えた。

出演者自らオーディエンスフロアから入退場し、DIVERが天井から引きずり出したケーブルが垂れ下がり、アロハを着た哀川翔を良い男にしたような兄ちゃんが、サウンドボードの敷居の上で風呂屋の番台のような位置から、コタツの電源スイッチのようなものでカチカチうるさく照明をコントロールし、舞台の袖から、曲の間にBuzzのマイクを奪ってスタッフに指示を出す、ヒッピーそのものである親父が多分ボスキャラのこのライヴハウスにぴったりのバンドであった。このライヴハウスでは後日MUFFSのLIVEが行われたはずである。金のなかったこの俺は\2500のMEVLINS Tシャツを買いのがす。最後になったが、いると思ってホントにいた有島博志氏を、肉眼で確認したことを報告する。

<追記>
この後、MUDHONEYの来日公演も仕事で逃す。結局これがMUDHONEY最後の来日公演になるとは知らず。無理をしてでも行くべきだった。悔やまれる。
1999年4月20日かくだ

JAMIROQUAI / 『SYNKRONIZED』

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緊急速報! 川崎の無法地帯『ドンキホーテ 東名川崎店』でJAMIROQUAIにシンクロナイズドッ!! 未知なるサウンド! 不死身のディスコティーク!!
パソコンのスクリーンセイバーがすっかりジャミセイバーに定着してから、僕はひたすらこの新譜を待ち望んでいた。発売日前に手に入れることができたのは、とても幸運だったと言えるだろう。そういえば隣にはDUST BROTHERSのアルバム『SURRENDER』も置いてあったがそんなことはどうでもよかった。

このアルバムを買おうと決意した直接の理由は、ラジオから流れてきたシングルカット曲“Canned Heat”がスンナリと僕の心の中に入ってきたからだ。「ラジオで聞いてCDを買うなんてよォ〜、典型的だよなァ〜」という声が滋賀県の南草辺りから聞こえてきそうだが、いつも休日出勤している僕を小馬鹿にしている彼を見て「むしろ哀れなのはヤツだ」と思い込むことで落ち付くことにした。しかし新しいCDは実に取り出しにくい。取り出すときいつもCDを折ってしまうんじゃないだろうかと不安にかられる。なんだってあのヘソの部分が硬いのだろうか。まるで「DISKUNION 淵野辺店」のトイレのドアみたいに硬いといっても過言ではないように思う。アルバムは幅広いタイプの曲で構成されているため、「なんだか同じような曲だな」なんてことはなく、たいへん聞きやすいアルバムであると言える。こうしている今も曲は流れ続けている、もはや何の違和感も感じることはない。僕はすっかりこのアルバムに『SYNKRONIZED』されてしまったらしい。
1999年6月6日ybk

SLEATER-KINNEY @ 新宿LOFT    1999年6月29日

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俺は、LIVEを見に行くときはサインペンを持ち歩くコトが義務付けられているが、ついにその威力を発揮するときが来た。今日のLIVEは新宿だったわけで、午後はきゃつらを探してずっと西新宿レコード店街をうろうろしていたが遭遇できず、飽きたので開場40分くらい前まで、ゲーセンに居た。んで、いざロフト(B2)へ行くため、階段を降りていくと、なんか、外人サンが三人お話してる。その中にこのカバンの中のCDジャケに写っている人と同じ顔が・・。

Carrie Brownsteinだ!うげぇ、メンバー三人の中で一番イケてないと思っていた彼女だが、実物はめっちゃかわいかった。昨日の夜、風呂でシミュレーション(“シュミレーション”って勘違いしているやつ多くないか?)していた英語はこれっぽっちも出てこなかった。なにか片言の英語を口にしたと思うが、多分通じてはいなかったろう。でも、意を察して、CDジャケットにサインしてくれた。“good luck Carrie”って。握手もしてもらったし。良かった。

でも、LIVEはちょっと期待ハヅレ。客がやけにおとなしくて、前のほうに居ても後ろから全然押してこないし。客の人数少ないせいもあるが。女の子が特別多いってわけでもなかったと思う。踊ったり、飛び跳ねてるやつも少ない。なんか興奮を抑えられない俺は浮いてる。今に始まったことじゃないが。最後この俺の肩を使って無理やりDIVEを試みたやつが居たが、 スーツを着た警備の人が出てきて、丁寧におろされてた。おろさなくても、人がスカスカだから、落っこちていたと思う。スーツの人もこんなヤツに怪我させないために大変だ。せっかく俺が持ち上げてあげたのに大失敗。も一回やってたが同じ結果。空気読め。そんなことばかりしてると男の子締め出されちゃうぞ(含む俺)。

終了後、Tシャツ買いに行ったら、CD売り場でCD買うとサイン色紙くれるって言うから、買っちゃった。輸入盤で持ってる3rd『DIG ME OUT』。対訳とライナーノーツ欲しかったんだ。んで、JR新宿駅山手線品川渋谷方面のプラットホームで、手に持っていた色紙見なおすと、あれ・・・

Thanks OSAKA.Carrie
You're cool! janet
Thanks! corein

大阪の売れ残りかいぃぃぃいぃ!!!最後にオチがついたところで、また。

<追記>
次の日も同様にLOFTでLIVEが行われたが、仕事で開演時間の7時に間に合いそうになかった俺は、初日同様オープニングアクトがあると思ったので安心していたが、いざ会場に入るともう始まっていてショックだった。ちなみに初日のオープニングアクトとは当時メジャーデビューしたばかりのNUMBER GIRLで、S-K演奏終了後、会場内でGuitarのヒサコちゃんを目撃。今考えるとサイン貰っておけばよかった。
1999年6月29日かくだ

THE CHARLATANS @ クラブチッタ川崎    1999年12月3日

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至上最速レヴュー!日本が世界に誇る産業都市(インダストリアルシティー)=川崎でCHARLATANSをつかまえチッタ!!
「キミはCHARLATANSのファンなのか?」と聞かれたら即座にこう答えなければならない。

「イヤ、全然です(笑)」

実際にCHARLATANSについて知っていることといえば彼らの音楽そのものについてではなくジャケットのロシア帽男がClint Eastwoodに似ているかも、ということだけであった。彼ら程有名なバンドに対し大変失礼ではあるのだが実際にそうなのであるからしょうがない。しかし今日のLIVEを見た僕はどう考えても自分が間違えていたのだと思わざるをえない状況に陥ってしまった。ひたすら心の中で詫びるしかないという感じた。何故このバンドについて曲名のひとつすら知らなかったのか?アーティストに現在のU.K.シーンについて聞くと、返ってくるのは決まって「良いアルバムがない」「新人はパクってばかりいるからダメだ」といったマイナス要素を含んだものばかりである。こういったネガティブシンキングが蔓延する中でCHARLATANSは一体どのような位置付けがなされるべきなのか。新人というにはおよそ相応しくないほどその音楽性は確立しているものだし、かといってベテランという程落ちついてしまっているバンドではない。実はそんなポジションにいるからこそ我々は期待してしまうのだ。

「U.K.シーンに革命を」

この声なき声を彼らはもう十分に承知しているのであろう。強大なプレッシャーに押しつぶされそうになっているかもしれない。しかし彼らは成功を知っている永遠なる勝者であり、同時に悲しみと苦悩をメロディーに紡ぎあげることのできるかけがえのない使徒なのである。まさにアンコール前の曲がそれを物語っていたようだった。僕はこの空間に包まれた雰囲気に心地良く身を委ねることにした。この空間を何度でも味わいたい。そういった麻薬のようなメロディーがとてもこの会場にあっていたような気がする。僕にとってドームや武道館レベルの広すぎる会場でやってほしくないバンドになってしまった。いつまでも僕らの傍にいてほしいのである。長い間「シャータランズ」だと思っていた僕はなんだかとてもハズカシくなってしまったよ。
1999年12月3日ybk

OASIS @ 横浜アリーナ    2000年2月29日

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至上最強超光速レヴュー!定価\6500のチケットを\4000でゲットォ?そんなのアリーナ!!
オアシィィィィィィィス!!
もう一度叫ばせてもらいたいッ!
オウェイィィシィィィィィィィィィィィィス!!!

当日券がある事を前日の新聞によって確認する事が出来たので密かに潜入する予定だったSUPERGRASSを課長の一言「今日中にやっといてくれ」でサービス残業をするはめになり、STEREOLABについてもやはり同課長のエンドレス子守唄にしか聞こえない長話によって計画を掻き消された僕は黄昏れていた。黄昏れるしかなかった。1999年最大の不幸ともいうべきJAMIROQUAI公演の欠席によって「前売券なんて買うもんか」というイジケタ心が僕の心の45%を占めていたなかで、追い討ちをかけるようにこの2つの公演についても見ることができなかったという事実は、何者かがLIVEという神聖なイニシエーション空間から僕を完全に引き離しにかかっているとしか思えなかった。そんな時にOASISに出会えたことはまさに幸運であるとしか言い様がない。Liamが“WonderWall”でのタンバリンのたたき方はなっていなかったが、“Some Might Say”のとき壇上のすぐ下にいるカメラマンを追っ払う姿はカッコよかったし、Noelの“Don't Look Back In Eiger Sanction”は至高だった。轟音が鳴り響き、体を突き抜けてゆく。体全体で音楽を感じる。僕が特に好きだったのは『BE HERE NOW』からのナンバーだった。思ったよりもいいアルバムなのでは、と思ったりもした。ここで声援が飛び交う中でふと考えたことを記しておきたい。所有しているアルバムはOASISよりもRIDEの方が多い僕としてはせめて「Andy」と声援をかけるべきだっただろうか?いや、辞めておいて正解だっただろう。なぜならSMASHING PUMPKINSにおける「Iha」という声援と同じくらいの価値しかないのだから。それにしても彼にはスポットライトが全くあたっていない。この先のLIVE生活は大丈夫なのか心配になる。そこで彼に今後のアドバイスとして一言いっておこうと思う。

そこのボーダー、少しは動けよ。Gemすら動いているのに。
2000年2月29日ybk

GOLDIE @ 新宿リキッドルーム    2000年5月3日

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史上最速リアルタイムレビュー!ドラムンベースに明日はあるのかッ!!
GOLDIEがかつて言っていた。「DRUM&BASSという音楽分野は飽きられてしまうのが早いんじゃないだろうか」。僕は「ドラムンベースセッション」が開かれた記念すべき日にこの言葉の意味を知ることになるなんて予想もしていなかった。

当日券を手に入れるしかなかった僕は今日勢いよく家を飛び出した。LIVEはおそらく7時頃からだろうという勝手な思い込みにより6時過ぎには新宿についていた。しかし開演時間は10時である事をガラスのケース越しに見た小さい紙切れで知ったとき最初の疲労感が僕を襲った。「あと4時間何をしたらいいのか」。街をうろついているだけでは到底時間を潰すことなどできない。喫茶店でも4時間は到底粘れない事を確信したので、仕方なく漫画喫茶を利用する事にした。せっかくだからと思いバガボンドを探したが見つからないので大甲子園という奇妙な選択をした。他にも読みたいものがあるはずなのに、いざとなるといろんな本に目移りしてしまうのが漫画喫茶の独特な雰囲気なのだろう。

リキッドルームは思ったより良い空間であると思った。すでにDA-Iというような名のDJとMCのPhilipによる演奏が始まっていた。まさにDRUMとBASSで構成される繰り返しの重低音が室内を埋めつくす。最初のうちはフロアーにいるのはごくわずかな人数であったが次第に人が集まってきた。みんな少しずつは違うがほとんど同じような動きをしている。次に登場したのがDJ「フランキー・フロー(?)」であった。やはり重低音にのってみんな踊っている。同じような動きだ。その次のDJダズィル-T(?)のときも変わりない。ずっと同じ動きが続く。ここで僕は疑い始めた。同じ動きなのは仕方ない、が3人続けて同じような(「同じ」と断言してもいいほどの)変わり映えのない音楽を流すのは一体どういう事であろうか?彼らの音楽には工夫がない。想像力に欠けている。とりあえずDJのRAPを曲にのせているだけ。今回は本当にいいかげんにしろと言いたくなった。客もとりあえず場当たり的な歓声を上げるのにも腹がたった。「オマエらそれでいいのか」って言ってやりたかった。さらに僕の怒りに油をブッかけてきたのがDJ STORMだ。最初は「女性だから」というどんな男にも備わっていると思われる女に対する「歓迎ムード」と「親切心」で見ていたが開始5秒でスッ飛んだことを素直に認めたいと思う。この女ほ・ん・と・うに同じことの繰り返しだ。冗談じゃねーぞ、畜生ッ!しかも「あともう一枚回したいノ」っつーおねだりなんかしやがって、クソッが!!また同じことやってんじゃネーかよ。最後はGOLDIEに抱きついてしばらく抱擁の時間が続きやがる。さっさと失せろッ!

そして待ちに待ったGOLDIE。さあ1曲目から“Temper Temper”かぁ、と思いきやヤツまで正体不明のDRUM&BASS。オレが曲を知らね−だけなのか?でももういい。もううんざりだ。この後何があったとしても後悔しない。GOLDIEの途中だが会場を後にした。

5月3日、僕のDRUM&BASSは死んだ。
2000年5月4日ybk

J MASCIS @ HMV渋谷    2000年10月17日

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仕事帰り、元DINOSAUR JR.の J Mascisがインストアイベントをやるというので渋谷へ。
さて、まだ始まるまで時間があるので、晩飯と時間潰しを兼ねてマックへ。ラーメンとか食べたかったけど、スーツが汚れたらイヤだからマックで簡単に。禁煙フロアの3Fへ行って窓側の席に座ると、聴いた事のある音楽が。ああ。この声は椎名林檎ね。はいはい。・・・・・・。違った。矢井田瞳だ。いやぁ。知ったかぶりしちゃった。自分の勘違いにちょっと赤面しつつチーズ月見バーガーを齧りながらふと外に目をやる。道を挟んで反対側の目の前のビルのデカい青っぽい看板。タバコかなにかの看板だと思ってなんとなく書いてある文字に目をやる。

d a i y a - m o n d e
ダ イ ヤ − モ ン デ
ダイヤモンド

おいおい。なんのつもりだこの綴り、と思って看板を良く見る。10.25 on saleとかなんとか。俺の誕生日。あれ?これって矢井田瞳のアルバムの広告じゃん。全然分からなかったわ。矢井田を逆から読んでヤイダ->daiya。看板をしみじみ見なおし、このコが矢井田瞳なのか、と思ってみる。せっかくの初めてのアルバムのタイトル。本人が考えたのか、それともそうゆう戦略(どうゆう戦略?)なのか。大の大人が「矢井田瞳1stアルバムタイトル決定会議」を開き、「“daiya-monde”でいきましょう!」と意見している様を想像してみたりする。まだ流れている彼女の曲に耳を傾ける。椎名林檎が登場したとき、softsがAlanis Morissetteの歌い方と一緒だと言っていたが。真似の真似。誰が聴いてもオリジナリティ溢れるアーティストってもう居ないのか。まぁ、真似じゃないかもしれないけど、他人が先にやっていることと同様のことをしてては真似といわれても仕方がない。数分の彼女の曲を聴きながらいろいろ考え、いろいろ発見があった一時だった。

あれあれ。全然Jのこと書いてないや。
2000年11月1日かくだ

THE POSIES @ 原宿アストロホール    2000年12月7日

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祝・仮釈放!来たぜ、大都会ッ!!今世紀最後のミレニアム・レビューは日本で見られる最後のPOSIES??
あぁ、見えるよ! ジョンとケン・ストに後光が見えるッ!!〜原宿カストロ議長ホール
となりのトトロは確かに面白い作品である。しかし見終わった後に残るのは面白さだけではない。少し寂しくもあるのだ。サツキとメイはどうやって暮らしていくのかなぁ、お母さんの病気は大丈夫なのだろうか・・・この「少しの寂しさ」を絶妙なエッセンスとするバンドこそCOUNTING CROWSと一線を画すPOSIESなのだ。もう一度言おう、POSIESは「少しの寂しさ」を備えたバンドなのである。「黄金のメロディー」×「全開のポップチューン」÷「少しの寂しさ」=「POSIES」。今宵の原宿は、この方程式が見事にハマったアコースティックライヴとなった。実はここにたどり着くまでには相当な覚悟が要求されていた。「青森県にはチケットぴあが存在しない」という身も凍るような事実を思い知らされてから、僕の心はタイタニック号のごとく沈み込んでいた。別名本州の北方領土とも言われるこの極寒の地で唯一の音楽情報源とも言うべきロッキング・オンで知った問い合わせ先で、チケットがまだあることを知った僕はすっかりその気でいたのだった。バナナの皮を窓から投げ捨ててやりたい気分だったが落ち着きを取り戻し、最寄りの「チケぴ」を探しだした。結果は盛岡。盛岡までの運賃=片道2520円は、関東で云うところの「十日市場−熱海間」にも匹敵する、信じがたいものであるため希望の光は完全に消えうせようとしていた。しかし、ふと眼に入った週間マガジンのグラビアを飾る、新山千春がうなだれていた僕に語りかけるのだ。「あきらめちゃ、ダメ」

このLIVEを心に刻むために僕はニット帽をずらして耳を完全に出すようにした。一つ一つの音をすべて吸収したかったのだ。LIVEは一気に幕を開けた。青白いスポットライトが2人を照らし出す。ジョンは静かに目を閉じて、ケン・ストは弦に噛みつくように頭を振りながら、すさまじい速さでギターをかき鳴らす。激しい動きとは別物であるかのように2人の奏でる音は美しい。2曲目が終わった後、2人は息が合ったようにまったく同時にドリンクに手を伸ばした。こんな様子も実に微笑ましい。そして4曲目にはなんと“Open Every Window”。まさか聴けるとは思わなかった、というのが正直な本音だ。ベストアルバムのタイトルにもなっている“Dream All Day”は実に深みのある仕上がりだ。“Suddenly Mary”ではイントロでジョンが吹き出してしまった。笑っていると思いきや、いつの間にか聴かせる演奏になっている。笑顔の後で、なぜこんなにも「少し寂しい」のだろう。アコースティックライヴがゆえに、冴えに冴え渡った“Please Return It”。アルバム『AMAZING DISGRACE』の中心となる「1曲の力」を見せつけられた気がする。これだけはぜひ聴きたかった“Solar Sister”。英語がもう少し分かればもっと楽しめたかもしれないLIVEだったと思うが唯一会話を「超訳」できた瞬間がこのとき訪れた。曲が終わった後、ライヴ会場に必ず一人はいる「通訳の女」が突然「ベリー・ベリー・ハッピー」などと言い出したのだ。このあとケン・ストがすかさず問い返したのだ・・・「今、なんつった?」このやり取りだけは完全に理解できた。蛇足だが、ケン・ストはいかにも「今、なんつった?」って言いそうなヤツなのだ。小休憩の後“Spite And Malice”で再開した。“Coming Right Along”で終わりそうな雰囲気があったかに見えたがまだまだ続く。STEPPEN WOLFの“Born To Be Wild”や007のテーマ、STAR WARSのテーマ等ほんとに楽しんで演奏している。このような絶賛を書き並べると、心無い横浜市民から「オマエのような急造ファンがぁ、何言ってやがる(怒)」という声が沸いて出てくるのかもしれない。しかし、奥さんに差し迫られた「Courtney Loveという名の踏み絵」をあっさり踏んだ会社員や、鋼神(メタルゴッド)とまであがめていたJake E Leeのポスターを、今やタンスの水平を保つために下に敷く厚紙として使う自発的完全失業者にいわれる筋合いはないのだ。一度見ただけで圧倒的に惹かれるものもあるに違いない。POSIESにはそれがあるのだ。

すべての演奏が終了して2人は一度姿を消したのだがアンコールにこたえてやはり再々登場。そしてLIVEはフィナーレへと向かうのだった。最後にはマイクを片手に、なんとアメリカ合衆国国歌!その後、「君たちも歌えよ」とケン・ストの催促に応じて、お返しとばかりに観客は「君が代」を歌い返す。そして本当の最後には“Tokyo Japan”(?)という即興の歌によって感動は昇華したのだった。

最高だった。いまはそれしか言えない。

この感動を閉じ込めるために僕はニット帽を目深にかぶり、耳をすっぽりと包み込んだ。そして「ココでするのかよ!」と言いたくなるようなトイレを完備したアストロホールを後にして歩き出したのだった。
2000年12月8日ybk

TEENAGE FANCLUB @ 渋谷オンエアイースト    2001年1月29日

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‘Hey!’

その瞬間、頭が真っ白になった。俺はなんの準備もできていなかった。ステージに現れ、オーディエンスの祝福の中、楽器を手に取るメンバー。そして、ふらっとマイクに近づくGerard Love。その口から放たれたその第一声で全ては始まった。不意を突かれたというか、スキを突かれたというか。自分で何が起こったのか理解できていない。しかし、そんなのお構いなしにGerardは歌いつづける。

‘There's A Horsehoe My Door,Big Deal!’

目の前の現実と、頭の中の“Star Sign”(Gerard)のプロモビデオの映像がシンクロし心が一気に高揚する。

‘Seen It All Before
  Seen It All Before
  Given Time These Things Will Change!’

そう、前にも見たことがある。『SONGS FROM THE NORTHAN BRITAIN』時のリキッド・ルームでの来日公演。昨年の夏のSUMMER SONIC 2000でのステージ。前日のこの場所、この時間。そして、日常から逸脱したこの時だけ、自分の中で何かが変わる。

今回の来日は気合が入っていた。当初の予定の2001年1月28日(日)、29(月)のチケットはすぐ押さえた。追加公演もクアトロと聞いて嬉々としてチケットを申し込んだ。 今世紀最初のLIVE。前日の28日はRaymond Mcginley側の後方で堪能した。1曲終わるごとに「アリガト。」と声をかけ、オーディエンスの問いかけにもいちいち答えてくれるNorman Blake。しかも東京公演3日目、最終日のクアトロでは二日酔いだったようだ。2日目はGerardの前に陣取る。そして、それは正解だった。今回の東京公演3Daysではこの2日目が一番Gerardの曲数もノリもサイコーだった。はじめて見たKeybordはなんとももやしっ子(失礼!)で狙ったとしか思えないおかっぱのようなヘアスタイル。そして瓶底系の眼鏡。さらにヘタクソな演奏。チクショウ。なんて良いキャラなんだ。ツボ突かれまくり。と思ってたら、彼はかのBELLE AND SEBASTIANのKeybord、Chris Geddesだそうだ。

前日は聴けなかった“Star Sign”はオープニングにもってこいのナンバーだった。LIVEでは初めて聴いた“God Knows It's True”の後の“Speed Of Light”での演奏は良かったとは言えなかったが曲の良さとその雰囲気だけで十分だった。うまく弾けたのがそんなに嬉しかったのか、Chrisは“Speed Of Light”の演奏が終わるのと同時にガッツポーズ!いやぁ、あんた、良くやったヨ。中盤〜終盤にかけて、“I Need Direction”(Gerard)、“Start Again”(Norman)、“Radio”(Gerard)、“Metal Baby”(Norman)、“About You”(Raymond)と畳みかける。そして“Sparky's Dream”(Gerard)で締める。アンコールは“Hang On”(Gerard)とたまらない構成。特にGerardのナンバーで盛り上がる。ホント、Gerardの方にいて良かった。

はっきりいって、この3日間、ステージにいるメンバーに緊張感はなく、調子が悪い、というよりは下手っぴだった。TEENAGE FANCLUBはフロントの3人が平等に曲を書き、平等に歌う。まぁ、たまたまフレンドリーなNormanがセンターにいるが。仲が良いのはわかるが、皆そろって調子がイマイチであるのはどうにかならないか。しかし、それを補って余りある楽しさを提供してくれるこの雰囲気。“He'd Be A Diamond”、“Satan”、“Radio”、“Hang On”、“Alcoholiday”など、聴きたかった曲は聴けたし、3日間参加してホントに良かった。Tシャツの不作振りを差し引いてもこの3日間は稀に見る楽しいLIVEだった。
2001年1月31日かくだ

IAN BROWN @ 心斎橋クラブクアトロ    2001年12月01日

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ニッポン縦断2001km!至上最長遠征・超起死回生レビュー!!暗がりに映し出されるシルエットはまさにサルそのものやんけ!!!
〜大阪・心斎橋 クラブクワトロ(百式)
内装は全て黒塗り、そして「非常口」と「救命袋」の照明灯がいやに目立つ会場に入ったのは6時半を過ぎていたと思う。そして「オォウサ〜カ」という3分くらい前に覚えたであろう日本語を言いつつIan Brownは7時過ぎに登場した。ヤル気全開の1曲目は“Bubbles”。比較的大人しい部類の曲と思っていたが、LIVEではCDで聴く感じとは全く異なった力強さを印象付ける曲だった。勢いのあるオープニングに、この日の期待感が一気に急上昇する。目の前にいるキッズたちが手を差し伸べれば次々にハイタッチで答え、会場の奥に向かってピースサインを連発するIanのノリの良さにゆっくりとしたオープニングを予想した僕は完全にやられたしまった。巨大なスピーカーから鳴り響く音と、Azizの指全部に装着した赤い光線とGuitarにも取り付けられた無数の緑の光線が会場を無差別に攻撃する。1曲目から会場は出来上がっていた。「モシモシ」というあまりにも短すぎる日本語MCの後、2曲目の“Stardust”。落ち着きを取り戻すかのように歌い上げる。そのまま最新アルバムである『MUSIC OF THE SPHERES』の中から“Whispers”、“Gravy Train”と続く。

この最新アルバムが前2作と決定的に違っていると思う点を僕なりに因数分解してみると、アルバム全体の曲群が磁石を近づけた時の砂鉄のように一方向を指し示しているように思う。実験段階であるため、さまざまな要素を持った曲ばかりでなく全てのベクトルが決まった方向を向いているため、今まで感じられなかった統一感が存在するのだ。アルバムの最初から最後までが調和の取れたひとつの作品であるかのように。さらに実験が成功したしたことを如実にあらわすのがMr.Goldfingerの奏でる打楽器の効果的な使い方だろう。演奏中の指さばきが超人の域に達している。世界ビックリ人間の域に達している。よく説明できないのだが右手の薬指で叩きつつ、左の人差し指で皮の部分をこすっているのだ。この人ならきっと、ひとつの太鼓につき1677万通りの音色を奏でることができるのではないだろうか。

ジャージを脱ぎ捨てアディダスのタンクトップ姿になった後“So Many Solders”、そして1stから“Corpses”と続くがこのままカラオケモード全開のIanに誰かツッコミを入れるヤツはいないのだろうか。もしもスピーカーの上に電光掲示板があったとしたらそこに表示される点数は決して30点を超えないであろう歌いっぷりだ。“Love Like a Fountain”を歌っている最中にもボクサーのファイティングポーズをしている。“Dolphins Were Monkeys”や“Golden Gaze”といった曲の合間にも太極拳の動きをするなど、とにかくよく動きまわるのが印象に残った。FUJI ROCKで見せたマイクのコードを首にかけての奇妙な踊りも見せてくれたことを付け加えておきたい。そしてアルバムの最後を飾る“Shadow Of A Saint”といった聴かせる曲を披露したあと6人全員がいったん引き上げていった。

アンコールで再び現れたときIanは手にしていたシャンパンを当然のようにして最前列のキッズに渡してしまう。渡されたヤツは決まりきっているかのように与えられた炭酸水を振りまくった。飛び散った泡がIanにもひっかかるが、まるで気にしていない様子だ。

そのまま最新アルバムの中心である“F.E.A.R.”→“My Star 2001”という、BEASTIE BOYSでいうところの“Intergalactic”→“Sabotage”という非の打ち所のない連携プレイで幕を綴じた。

何もいうことはない。幸福感でいっぱいだ。大阪まで行った甲斐があったというものだ。会場から出て来たときビルの時計は8時27分を示していた。そのまま街中を歩き回っても良かったのだが抑えきれない感動を閉じ込めるためカプセルホテルへ向かうのだった。
2001年12月02日ybk

BLONDE REDHEAD @ 青山CAY    2002年1月27日

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加速装置スイッチドオン!!OK,009!!マッハ3かい?いや、アイツらはそれ以上さ、このオレの坊主寒を吹き飛ばす、脳天直撃W杯トーンヴォーカル!!
カズゥ!!ブロンドレッドヘッドジェットカット!!!@南青山CAYCAYダウニング(ジューダスプリースト)
イタリア 対 日本
    1     -     1

この結果を予想出来た人は果たして何人いただろうか?確かにここ最近の日本のホームでの強さ、イタリア代表のコンディションの悪さなどを差し引いたとしても、あの暴れん坊将軍のオチより堅い、イタリアのカテナチオから 1 という文字を掲げることを許されるなどとは、いまだに根強く存在する日本における楽観論者にも想定しがたいほイタリアというチームは堅守であり、日本は到底勝てないという事実は出来あがっているメジャーなチームだ。メジャーであればあるほど嫌いになる。そんな悪い癖をもつ僕だが、嫌いじゃないイタリア人もいる。それはサルバトーレ“トト”スキラッチと、このBLONDE REDHEADの双子のイタリア人だ。と、そんなことを考えていたら僕のすぐ横で股引みたいな服を着たイタリア人と普通の服を着たそっくりなイタリア人が。と、サイン貰ってる女の子が。この時の僕の気持ちを表現するなら「バットを忘れて打席に立ちストライクを3球見逃した」ような消化試合的な気分も加味されていたことも忘れてはならない。ああ、いってしまった・・。

僕が彼らの音源を始めて聴いたのは滋賀県草津市、草津駅前Aスクエア内十字屋の試聴コーナーだった。なぜだ?なぜここで試聴できることが出来たのかはいまだに不可解な点が多いが、数ヶ月経ってその音源が忘れられずに買いに来たときアイウエオ順の棚に並べられてあったのだが、何故か近くにKen Stringfellow(通称:ケンスト)のソロアルバムがあったことを、今では数ヶ月に3回くらいしか思い出さなくなってしまった。まあそんなことはどうでも良いのだ。そうLIVEだ。また例によって相棒UJがエレグラと同様の慢性LIVE控妨ウイルス症候群により風邪をこじらせたため、また一人で行く羽目になる。「誰か他の人誘えよ」といわれてもこのオレの人脈から言って無理だ。その変わり超小型デジタルヴォイスレコーダーとマイク(親父所持)をポケットにしまいこみ(Alanis:ハンズインマイポケッのノリで)家を出たのだった。まあ例によってスパイラルビルがスパイラルじゃないことに騙され、やっとついたところメルトバナナが既に始まっていた。一言でいうと「高い」。それでPAミキサー横に落ち着きながら、BTB。「ミドル」。しかし最近の日本バンドは可もなく不可もなくしっかりしてルナーと感動した。さあ、そろそろ始まりが近づいてきたのでウイスキー水割りを2杯ほど飲んで備えていると、僕の横を70歳ぐらいの、この会場に似つかわしくない、というか「居て平気なのかッ!?」というおばあちゃんが若い男にエスコートされてどんどん前に行くのであった。まあブンデスリーガの名門ボルシアドルトムントの名物双子おばあちゃんの例もあるし、この方も南青山のカリスマ的存在なのかな位の暖かい思惑で納得することにした。その時少し会話を耳にしたのだが

男「ちゃんと耳栓しましたか?」
お「はい、してますよぉ〜」

いや、していなかったように見えた。LIVEにおける耳栓で数々のヒンシュクを買ってきた僕はそう断言する。
LIVE演奏については言うことはない。ウマい。Guitarのみかと思ったら女史はBassも弾く。そして、効果的なシンセサウンドが取り入れられていた。それは最近のアルバムなどではそういう方向性なのだろうか?すこしTECNOを思わせるようなものもあった。また、ディレイなどの使い方が巧みだ。Guitarで遊ぶというのはこういう事だ。Drumもしっかりしてうるさすぎず、叩きすぎず、確かにジャズ系を思わせるふしがあった。思うにこのLIVEはPA的にも最高だった。キンキンしてないのがいい。
LIVEも中盤に差し掛かりやっと女史が口を開いた。

「今日、おかあちゃん来てんねん」

最高の関西弁MCだ。この言葉で謎が解けた。
中盤以降、中だるみしたような気はしないでもないがそこそこのテンションでLIVEはクライマックスに突入する。なんといってもアンコール最初の1曲目、Ian Brownじゃあないが、カラオケモード全開のトミーフェブラリー(≒STRAWBERRY SWITCHBLADE)の上を行くロリロリヴォイスが心に染み入る。あまり近くでは見れなかったのだが、かわいさのオーラがにじみ出ていた。顔細い。具体的にいうと、「フォトショップの“つまむ”で安達祐実の顔を少し細長くした」感じ、いやもっと具体的にいえば、小学校、中学校同じクラスだった大田代ユミさんに似ていたよう気がした。

LIVEは終わった、しかし、しばらくレコーダーを止めるのを僕はためらっていた。出来るならば、表参道の駅でトイレの効果音をとるつもりでいた。しかしそれはLIVEに行く前の目的だった。今はLIVEの最初の1音を聴きたくて仕方が無かったのだ。しかしレコーダーにはマイクしかついていなかった。携帯電話の着信メロディさえ鳴らせない僕が小型スピー・・・・・・終わり。
2002年1月28日softs

FUJI ROCK FESTIVAL @ 苗場スキー場    2002年7月27日

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何しに行ったのって言わないでくれッ!計画性ゼロッ!!床屋に行こうと思ったらフジロックに来ちゃいました的ノリははたして許されるのかッ!?
シノヤマキシンに出会う。

この信じがたい現実から否応なく僕のFUJI ROCK'02は始められた。篠山紀信といえば、今でも“篠山紀信→宮沢りえ→サンタ・フェ”という永遠に頭の隅に残るであろうこのサブルーチンが呼び起こされるわけであるが、僕が受けている衝撃ほど周りの人は気にしていない様子だ。あやうく「キシン、俺を写してくれよ」というあまりにもフレンドリー且つ失礼な態度で声をかけられてしまうのではないかと思えるほどに近くにいるのだが、FUJI ROCKの会場という自然な雰囲気が爆発頭のキシンを景色の一部分として溶け込ませている。

(略)

井上陽水がひとり、静かに姿を現した。‘都会では自殺する...’(曲名不明)という絶望的に強烈過ぎる1曲目の始まりは青空の下に集まった観客達を一瞬で凍らせるように集中させた。と、同時にそれは井上陽水の奏でるギターが現代の若者にも十分過ぎるほど通用するロックであることを示した瞬間でもあった。それまでにのんびりと待っていた観客達はいっせいに大歓声を上げたことが何よりの証拠であるだろう。 客層は井上陽水目当てで来場したと思われる中年が多少目立つとはいえ圧倒的に若い。例えば僕のような洋楽以外は小松未歩(代表曲:“チャンス”)しか聴かない人でも、井上陽水といえば、名前とCMやドラマの主題歌等の何曲かは知っているくらいの人物である。それほどに全国的に有名な日本人のステージを見ることができたのは、今思うとかなりの幸運ではないだろうか。そしてステージには一人ひとりメンバーが現れ、曲の終わる頃には全てのメンバーが出揃った。3曲目にはあのTシャツとジーンズ姿の垢抜けないパフィーを一躍スターダムの座へと押し上げた“アジアの純真”を披露。井上陽水バージョンはとてものんびりしている。さらには‘昔偉いアラブのお坊さんが...’(曲名不明)、‘ホテルはリバーサイド...’(曲名不明)、‘夏が過ぎ...’(曲名不明)と続き、『知っているけど曲名が分からない』を連発された。そしてハーモニカを手にした井上陽水はBeckやIan Brownで見た時と同じように我武者羅に吹きまくったのだった。そしてあと3曲で終わりにすると予告した通りにきっちりと演奏を終えたのだった。アンコールはなし。まるで予想外のカッコよさだった。 そのままレッド・マーキーになだれ込み、なんとかWHITE STRIPESを見ることができた。入場規制があったにもかかわらず、わりと余裕で見ることができた。

(略)

PET SHOP BOYSを700mくらい離れたところから遠巻きに見る。知っている曲をやる頃には既にシャトルバスに乗り込むために会場を離れて行く途中だった。

(略)

もう眠いので寝ますね。ごめんなさい。

平成14年7月27日の行動
0751 Jロッジ発
0912 野辺地発(青森)
1401 大宮発(埼玉)
1438 越後湯沢着(新潟)
1450 シャトルバスに乗る(結構立派なバス)
1530 フジロック会場着(ダフ屋がいた 「チケット買うよ〜、リストバンド買うよ〜」)
1600 忌野と矢野の演奏が聞こえる
1620 フィールドオブヘヴンに到着(全会場の最端に位置、入場規制があるくらいの混雑)
1640 篠山紀信を見る(使用していたのは古いタイプのカメラ)
1710 井上陽水を見る(感動)
1840 THE WHITE STRIPESを見る(ジャックはメグを兄弟と紹介していた)
1910 PET SHOP BOYSを見る(感動なし)
1940 シャトルバスに並ぶ(この時間に並んで正解!もし遅れていたら...)
2150 越後湯沢着(アイスが食べたくなるが新500円使えず)
2220 越後湯沢発(これが最終便)
2340 東京着
2420 川崎着(駅から歩いて10分のカプセルホテルへ)
2002年7月28日ybk

GUNS AND ROSES @ SUMMERSONIC02 千葉マリンスタジアム    2002年8月17日

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WEEZERが終了して、既に1時間以上が経過していた。会場に垂れ流された音楽が1曲終わるたびに歓声が上がる。が、すぐ次の曲が始まり、まだヤツラが登場しないと分かると歓声は止んでしまう。会場のあちこちでは「ガンズ・アンド・ローゼズ」コールがフェードイン・フェードアウトを繰り返す。スタンド席では時折ウェーブが起こる。一部からは「ゲット・ザ・リング」コールが聞こえてきたりする。
携帯電話で時間を確認する。もう何回時間を確認しただろうか。僕の携帯電話cdmaOneは、基地局がGPSから時間を算出し同期を取っているため常に正確な時間を示す。携帯の画面は19時46分を表示している。開始予定時刻より45分以上経過。そのとき、垂れ流しの音楽が止み、歓声と共に“Welcome To The Jungle”のイントロが始まる。会場は一気に沸点に達した。

この日まで、僕はLIVEに参加して楽しむと言う行為からかなり遠い位置に居た。去年参戦したエレグラは風邪のために会場で寝転んでいただけだったし、今年年始のBLONDEREDHEADのLIVEに至っては正体不明の高熱のためにチケット代を無駄にした。さらに、この高熱により年始早々会社を2週間休んでしまい夏のボーナスを減らされた。そして、2002年も夏を迎えた。2001年の年始に行われたTEENAGE FANCLUBのLIVEを見てから1年半経っていた。だから、絶対に見たいと思うアーティストが参加するわけでもないのにSUMMER SONICの初日に行くことにした。\12500と往復の電車賃と飲み食いする代金を合わせたら日本盤CDを6枚買ってもお釣りが来るだろうに。

SUMMER SONIC2002の内容自体には全く期待していなかった。だから、ほとんど予習もしなかった。ANDREW W.K.とHIVESとWEEZERとGUNS N' ROSESを見れば良いと思っていた。でも、SAHARA HOTNIGHTSは事前にCDを購入して予習した。理由は単純。だってピチピチのギャルバンだったから。男臭いANDREWもHIVESも太刀打ちできまい。

この“Welcome〜”のイントロを聴くまでたくさんの出来事があった。予習しまくったSAHARA HOTNIGHTSが直前にキャンセルした。この時点でやる気を86%焼失した。実は友人ybkもSAHARA HOTNIGHTSしか予習しておらず僕と同じくダメージを負っていた。会場で知った新しいGN'Rのロゴは決してカッコ良いとは言えなかった。元MORBID ANGELだと言うANDREW W.K.のDr.を堪能しそこねた。Andrewのダンスは最高だったが、彼のあの白っぽい服は何なんだろうか。とりあえず、LIVE後にオーディエンスに向かってDIVEしたAndrewには触っておいた。彼はサービス旺盛だった。HIVESのVo.のマイクの振り回し方はなっていなかった。オーディエンスに何度も何度も「THE HIVES」と言わせるし。WEEZERは可もなく不可もなく。これらのLIVEでは、このテキストを書くために感じたことを記憶しておくよう努力した。そんな余裕すらあった。そして、WEEZER終了後、一時間以上の待ちぼうけ。

だが、19時47分の時点でその全てはきれいさっぱり吹っ飛んだ。

‘Welcome to the jungle〜♪ We've got fun and games!!’

開始から数秒後、右半ケツに痛みが走った。どうやらはしゃぎ過ぎて、普段使ったことのない筋肉を使用したためにケツが攣ったらしい。だが、顔がにやけた。皆歌ってる。スゲー。ずっと歌って飛びまくった。ケツの痛みに加え、足首から脛付近を蹴られまくり。痛てぇ。みんなスニーカー履こうね。それにしても、一体何処に隠れてたんだガンズファンは。“It's So Easy”では、途中の‘Fuck Off〜!!’でそろって中指を立てる。“Knockin' On Heaven's Door”では振り返ってスタンドを見ると、皆ライターに火を灯していた。くぅ〜。タマラン。

‘悦子の母乳だ!!(It's Gonna Bring You Down)’ “Welcome To The Jungle”
‘兄貴の〜ぉ 位牌〜♪ヤクザ!!(I leave it all behind Yowsa!)’ “Mr.Brownstone”

こんな過去の空耳アワ〜の傑作を、生で聴くことができるとは空耳フリークでGN'Rをリアルタイムで聴いていた高校時代の俺には想像も出来なかっただろう。Axlは思っていたほどデブではなかった。バンダナにドレッドへア。アメリカンフットボールのユニフォームのようなシャツと赤い皮のパンツ。この上下はタイトなものでないので、その体型を把握することは出来ない。シャツの背中と両袖には99とROSEの文字が。元NINのG.はゴスっぽい感じ。もう一人のG.もそんな感じ。B.は元REPLACEMENTSということで結構歳食ってそうだが細身で普通な感じでカッコよかった。Key.のDizzyは上半身裸。もう一人のKey.とDr.(元PRIMUS)は覚えてないや。
そ・し・て

Buckethead!!

ウィンドブレーカーにダボダボのズボン。かぶったフードにお面とケンタッキーのバケットとその間からはみ出した髪の毛。バケットには“FUNERAL(葬儀)”と書かれていた。そのバカうまのテクニック故にその中身はSTEVE VAIではないかと言う噂があるくらい。この個性的なキャラクターが何の統一感もなく同じステージ上に居る。当初のGN'Rはいかにもわがままなロックスター達の集まりだったが、今のステージを見るとホントに動物園かサーカスの如く。花火や炎の仕掛けも金かけてるし。AxlのMCはほとんどなかったが、「Thank You」とか「(日本に来れなくて?)悪かった」とからしからぬ発言や、「どーも」という日本語を使ってみたり、すっ呆けて受けを取ってみたり。声の出も悪くなく、そつなくこなしていた。なんか、俺のイメージしていたAxlとは大違い。いっそのこと、客を一時間待たせた挙句に、予定の半分くらいしか演奏らずに引き上げてくれた方が良いんじゃないかと思うくらい理路整然としている。喜ぶべきか悲しむべきか。

だが、僕の目の前にはBucketheadが居る。もう40になったAxlを休憩させるため、セットリストにはBucketheadのソロの時間などが設けられていた。おもちゃのジャイアント・ロボを片手にGuitarを弾いたり(多分、アニメのテーマか何かなのだろうが俺は知らない)、Guitarをヌンチャクに持ち替え、その腕前をも披露したり。ヌンチャクのソロパフォーマンスの最後にオーディエンスに向かって投げられたヌンチャク欲しかったなぁ。演奏中は誰も見ていないだろうに、その動きの一つ一つがロボットの如く。ずれ易いのか時折お面に手をやっている。当初の予想では、PRIMAL SCREAMに加入したKevin Sheilds程度の扱いだと思っていたが大違い。俺の送った黄色い声援は彼の耳に届いたのだろうか。

熱中してすっかり忘れていたケツの痛みを再び思い出したのは中だるみ気味の後半。そしてアンコールで再び登場。“Paradise City”。最後には紙吹雪が舞い、空には花火。いやぁ、良い物見せてもらった。ロックショーってこういうのを言うんだな。

結論:Bucketheadのアルバム『バケットヘッドランド』を皆で買おう。俺は買わないけど。
2002年8月22日かくだ

GUNS AND ROSES @ SUMMERSONIC02 千葉マリンスタジアム    2002年8月17日

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ウェルカム・トゥ・ザ・トーキョウー・ジャングォ! 全てはガンズのためにあるッ!! 9年ぶりの来日に見たものは昇りゆく太陽か、暮れなずむ夕日なのか?
奇跡ッ、奇跡のSUMMER SONIC完全レポート!?
最近のジャン・レノは扱いが安いのではないか、という雑念が僕の心に生じ始めていた。周りの人達も同様に集中力が途切れ始めているようだ。ステージ上のトラブルがなかなか収まらないので、熱しやすいが冷めやすくもあるメタルキッズの中にも座り込む者が出てくる。一度は脱いだTシャツをやはり球場に吹き込む潮風は寒いので着る、というような男達が現れだしたころバンドがようやく登場した。煙の中に包まれているので姿は見えないのだが確実にあの馴染みの音が聞こえてくる。

テテレ テテレ〜 テテレ テテレ〜
テテレテテレテテレテレ テテレテテレテテレテレ

スタンド席まで埋め尽くされた会場に向かって無差別に放たれるリップルレーザー音ともいうべき野心的なイントロが核分裂反応のように瞬時に会場を臨界点へ到達させる。100%、1曲目はコレだという確証があり、十分に心の準備をしてきたつもりでもこの抑えきれない魂の鼓動は一体何であろうか?この時点で垂直跳び62cm(自己新)を連発して記録している僕は現実の世界を既に逃避していた。この曲だけはしっかりと聴きたいと思っていたが、正直言ってこのときの記憶がハッキリしていないこと素直に告白しておきたい。

そしていつの間にか2曲目。もう曲名がわからない。後に“It's So Easy”であることが判明したのだが、ガンズ全盛期からの曲であることもあってキッズたちは明らかな縦ノリだ。この縦ノリを見ていると悔しさがこみ上げてくる。なぜもっと借りたCDによる予習をしなかったのか。寝る前に“Welcome〜”を聴きそのまま睡眠学習、起きてからまた“Welcome〜”だけを聴くという誤ったヘヴィローテーションとBURRN!9月号臨時増刊METALLION(この雑誌名は秀逸!)を1ページ残らず読破しただけの予習内容は、スケートボードを買ったが1回も使用していないくらいの後悔ばかりが残っただけだった。イジー・ストラドサリドマイドリンの本名がJeff Isabelleであることを知り、アルバムタイトルに『THE SPAGHETTI INCIDENT?』を冠した由来を説明出来たからといって一体何の価値があるのだろうか。HANOI ROCKSの記事もついでに読めたことに何の嬉しさだけが残るのだろうか。しかしそう悲観しているだけではなかった。この会場には僕を勇気付けるあの人がきっといる。日本メタル界の重鎮であり、Axl奇跡の独占インタビューを奪取した伊藤政則(マサノリと書いてセイソクと読む)がどこかで見守っているであろうから。

ステージはさらに加速する。“You Could Be Mine”では、やはりキッズたちの大合唱があり、熱気は衰えることなどまるで知らない。そんな中Michael Monroe率いるHANOI ROCKSの演奏時にも思ったのだがMichaelやAxlが放り投げたマイクスタンドを定位置に立てかけるマイクスタンド係ただ一人がこの会場で誰よりも冷静であった。そしてステージ上がパワーバラードに染まる頃僕は落ち着いてAxlに着目してみた。髪型はボブ・マーリィにインスパイアされたと思われるドレッドヘアにバンダナ、上半身には近鉄のタフィ・ローズから貰い受けた‘背番号99 ROSE’と描かれたユニフォーム(99という番号がデカ過ぎ)、そしてMETALの象徴である皮製でしかも赤いスノーボーダー御用達のシルエットの太いパンツというCourtney Love顔負けの意味不明ファッション。そんな彼を見ていて少し心配になってしまった。すっかり時代遅れに・・という不安、新しいものを取り入れようとして失敗してしまうのではないかという焦りが彼の頭の片隅にあるのではないか。僕が思うにAxlは迷っているのではないだろうか?音楽室に置いてありそうなヤマハグランドピアノをコミカルに演奏し、客の方を向き拍手を要求するようなAxlの面白い一面を見せていると、何とか中だるみしないように勤めていた感があり、はっきり行って“Chinese Democracy”等は良く分からなかったと言っていいと思う。こんなときアイツ等がいればと思うや否や、不意に「スラ〜ッシュ」という会場内に必ず一人はいるまちがった黄色い歓声を上げる女がいるじゃないか。しかもマヌケな感じで。いや絶妙だったけどBucketHeadに物凄く失礼じゃないか。十字拳ヌンチャクを振りかざし、BECKの動きをはるかに凌駕するロボットダンスを見せつけるサービス精神旺盛な鉄仮面に向かってそれはないだろう。

そんなこと思っているうちにライブは終盤を迎え“Night Rain”に突入、アンコール後“パラダイス銀河”という四次元殺法によって演奏は終了したのだった。

会場を離れ駅に向かう道中「“Welcome〜”のサビの部分ではもう少し盛り上がっても良かったと思うんだけどなぁ」と友達に冷静に話していたメタルキッズに言いたい。

「オマエこそ暗黒だ」
2002年8月24日ybk

SLEATER-KINNEY @ 渋谷クラブクアトロ    2002年12月18日

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この日のオープニングアクトEASTERN YOUTHのVo.&G.の吉野氏(以下眼鏡君)は見かけに寄らず良い奴だった。と言うのも「素直な性格に育ったものだ。」などと余計な関心をするような率直な話を聞かせてもらったからだ。汗で濡れたシャツから透けて見える乳首はどうかと思ったが、彼のS-KやKRSにまつわる話は笑いと涙と大きなうなずき無しには聞けなかった。この日S-Kのメンバーに挨拶して握手できたことを嬉しそうに報告する眼鏡君。フェイバリットなアーティストであるJETS TO BRAZILやFUGAZIのポスターは貼ってないけどS-Kのポスターだけは部屋に貼ってあるという眼鏡君。S-Kのみならず関連バンドのCDも全て所持していると言う眼鏡君。KRSからメールマガジンは届くけど読めないという事を打ち明ける眼鏡君。KRSから来た通販オーダーの不備の指摘メールの送り主がTobi Vailで、英語で大ファンですって頑張って返事書いた眼鏡君。でもその返事を未だに受け取っていない眼鏡君。「うんうん。」、「そうか。」、「そうだよな。」、「残念だったね。」などと俺は心の中で相槌を打っていた。まぁ有島博志氏に言わせれば手前味噌な話である。そろそろ本題に入ろう。

俺はこの日この時のために生きてきたと言ったら言い過ぎかも知れないが、そう思われても一向に構わない。EASTERN YOUTH終演後、自らサウンドチェックを行うJanetを微笑ましく見ていることができたが、メンバーがステージに揃った時には既に体の真ん中あたりが熱くなっていた。

LIVEは‘How Are You’の挨拶の後、6thアルバム『ONE BEAT』の中ではフックの効いた“02”から始まった。今回のLIVEは『ONE BEAT』リリースに伴うツアーの最終日。しかしそのサウンドは疲労を一切感じさせない張り詰めたものがある。Corinの歌が熱くなった心の芯まで響いてくる。「これだ、これだよ!こうでなくちゃ!」と妙に納得してみたり。興奮を抑えステージを観察してみる。ふと思ったのが前回に比べてフロント2人の歌うバランスが変わったか?Carrieは動きまくり、Corinはマイクの前から離れることはほとんどない。前回と比べてより一層担当する作業が明確化したと感じる。Carrieの服は胸のあたりがぴったりしていて結構ボインでした。Corinの背中はシースルー。人妻(注:お子さんはいらっしゃるけど人妻なのかどうかは未確認です。)という言葉が余計にセクシーさを感じさせる。「人妻万歳!」と小さく心の中で呟いた。Janetはきれいな黒い髪に黒の服。シックです。皆さん素敵。静かなイントロから始まった“Far Away”。だが一瞬にしてタイトなリフが静寂を切り裂く。TVの向こうの非現実的な映像が日常を一瞬にして凍りつかせた。そんな世界同時多発テロに恐怖した人々に対しCorinは歌う。

‘この雰囲気に飲み込まれてはいけない、恐怖を口にしてはいけない(Don't breath the air today、Don't speak of why you're afraid)’(注:個人的解釈です。)

鳥肌が立つ。外は冷たく中は暖か。俺の体はそんな風に天ぷらアイスとは逆の状態になっていた。基本的には『ONE BEAT』からの新曲を中心に“Start Together”、“Little Babes”、“Youth Decay”(←かなりスキ。Corinはサビを歌うのが辛そうだった。)を織り交ぜLIVEは進む。んで突然の“Turn It On”。もう数え切れないほど聴き込んだ『DIG ME OUT』の曲。なのにリフを聴いた瞬間のこの高揚感は何だ?過去に耳から入力され脳が解釈、咀嚼して格納してあった曲がこんなに素晴らしかった事を再認識する。再構築(リビルド)あるいは再コンパイルとでも表現しようか。この時、DIOの台詞と共にジョジョの奇妙な冒険のひとコマ、世界(ザ・ワールド)と歯車が描かれたコマが脳裏に浮かんだ。

“ある日、時の歯車がガッシリと『世界(ザ・ワールド)』とかみ合ったのを実感した。暗闇に光がさし込むような実に晴れ晴れとした気分だった・・・・・・”

“晴れ晴れとした気分”とはまた違うが、この台詞はこの時の俺の気分を良く表していると思う。DIOが得たカタルシス以上のものを俺はこの瞬間に得られた気がした。『ONE BEAT』も十分聴き込んだと思っていたが、それと比べると今日まで聴き続けてきた過去の作品の方が脳に染み込んでいると言うことだろうか。アンコールでの“Call The Doctor”でも同様。目頭が熱くなった。脳がアドレナリン垂れ流しっぱなし。この2曲を聴けただけでほとんど元取りました、と言いたいが1st、2ndあたりの曲も聴きたいなあと思ったりもした。いや、十分すぎるほどおなかいっぱいでした。ご馳走様でした。ゲフ。

終演後、しばらくしてステージに戻ってきたJanetにサインを貰う。『ONE BEAT』のジャケットにしてもらったんだけど、ペンが水性だったらしく紙に染み込まずにブレてしまった(泣)。

P.S.
BANDAI MUSICの閉鎖に伴い廃盤となっていた3rdアルバム『DIG ME OUT』と4thアルバム『HOT ROCK』の日本盤が今回の来日に合わせP-VINEレコードから再リリースが決定。それがまだ発売前のこの日に会場内で販売されていたんだけど、売り文句は「今ここでしか買えない」とのこと。でも巷では未だにBANDAI MUSIC盤の在庫が回収されてないで取り扱われておるんよ。ちょっと寂しくなった。S-K関連の販売はこれだけ。せっかくの来日公演なんだから日本盤CDなんかよりTシャツとかグッヅ販売してくれよ。特にTシャツはサイズとか質とか実際にモノを見て買いたいんだよ。だから通販はあまりしたくないのです。なのでお願い致します。って誰に言ってるんだろうな。

セットリスト 2002年12月18日 渋谷クラブクアトロ
01.Oxygen (O2)
02.Oh!
03.Start Together
04.Little Babies
05.Far Away
06.Reminder
07.Youth Decay
08.Light Rail Coyote
09.Turn It On
10.At Hands (All Hands On The Bad One)
11.One Beat
12.Hollywood Ending
13.Words & Guitar
14.Sympathy
15.YNRNRF (You're No Rock N' Roll Fan)
16.Step Aside
アンコール
17.End Of You
18.Get Up
19.Call The Doctor
20.Dig Me Out
2003年12月21日かくだ