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CAT POWER @ 下北沢ラ・カーニャ    2003年1月9日

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Beth Ortonがスキだ。横浜のHMVにて『BEST BIT E.P.』のジャケットを一目見て手にとり、そのままレジに向かった。いわゆるジャケ買いの一種であるが一目惚れと言った方がしっくりくる。99年に渋谷クラブクアトロで見た彼女はガラス細工のようで、体の全ての部品の細さに驚いた。その細い指でコードを抑え弦を弾く。そんなに激しく動かしたら壊れちゃうよ。胸の中で呟きながらドキドキしながら見守った。それだけで十分だった。そしてその口から紡ぎ出される声。僕は彼女の声に奥行きを感じる。空間を感じる。イメージすることを促される。それは僕の想像力不足のせいで、着色はされていない。全体的にモノクロームの世界。そんな何かが脳の中に浮かぶ。残念なことに僕の英語のヒアリング能力は皆無に近い。お陰で歌詞に込められたイメージに限定されず、その音のみから自分の好き勝手に想像を膨らませることができる。Bethが例え甘ったるいラブソングを歌っていても、僕の脳には意味不明のモノクロのイメージだけがある。想像の世界は無限だが僕の想像力ではその程度。でも彼女の歌を聴いているだけで幸せだと思える自分がいる。

Cat Powerがスキだ。彼女の声もBethと同じく奥行きを感じることができる。歌のうまいひとならいっぱいいるし、努力である程度まで上達もするだろう。だが彼女達に与えられた声は単純に上手いのとは違う。僕を惹きつけて放さない。その声から気だるさ、危うさ、脆さ、影、負を感じることもあるが、なぜかそれでも心地よい。もし僕が女の子を授かったのなら、こんな子に育って欲しいと思う。

Cap Powerの来日公演が2002年年末に急遽決定。しかも会場のキャパは100人程。チケットもなく、会場となるお店かレコード会社に直接電話で予約する方式。年が明け、あっという間にLIVE当日となった。今回のLIVEには仕事の都合で行けるかどうかわからなかったので、予約はしなかった。しかし結局LIVE当日のこの日は定時に退社できた。電話をかけ当日券があることを確認。良かった。嬉々として下北沢に向かう。だが、予習済みの曲は『MOON PIX』の12曲と“Nude As The News”のみ。明らかに勉強不足。

茶色いストレートの長い髪。上はグレーのスウェット、下はジーンズだったか。19時を過ぎた頃現れた彼女は人を掻き分けてステージに向かう。この僕の横を通過する際にだけその姿を確認することができた。と言うのも、僕の座ってしまった位置からは他の客の後頭部はたくさん目に入るが、ステージでギターを携える彼女を見ることはできない。満員御礼で席を立つことも移動することもままならないため、その位置で我慢するしかなかった。
会場が静まり、彼女がギターを弾く。彼女が歌いだす。店の電話が鳴る。彼女が椅子をずらす音がする。咳をすることすら躊躇われるような静かな空間に不要な音とともに彼女の声とギターが僕の耳に入ってくる。CDで聴いた声より、耳にダイレクトに届く通る歌声。たまらん。彼女は僕の全く知らない曲を次から次へと間髪入れずに演奏し続ける。曲の区切りもなく、客は拍手を送るタイミングがわからない。録音している人、寝ている人、指でリズムを取ってトントンうるさい人、店の電話の音、不要な音を発する邪魔者はたくさん居たが、僕は時には目を瞑って妄想にふける。僕の5メートル程先で時折その長い髪をうざったそうにかきあげる彼女を。歌声さえ聴こえればそれで十分だった。

ギターを傍らに置いたとき、この日初めての拍手が起こる。そしてピアノの前に座り直す。僕は彼女の姿は見えないのでその動きも全て想像するしかない。ピアノは力強いフレーズとともに始まったが、照明が明るすぎるのか何度か中断する。少々ナーバスになっているようだったが、相変わらず僕の知らない曲を次から次へと演奏する。彼女の曲らしくないやけにPOPな曲調のものもあったりしたが、カバー曲も織り交ぜているんだろうと想像するしかなかった。僕は未聴であるが、彼女のアルバム『THE COVERS RECORD』がタイトルの通りカバー曲で構成されていることは知っている。その『THE COVERS RECORD』でカバーされている曲の中で僕の知っている曲はROLLING STONESの“(I Can't Get No) Satisfaction”くらい。知ってるって言ってもサビだけ。で、

‘I Can't Get No Satisfaction’

と、その姿を見ることはできないけど歌声が聴こえてくる。お、俺でもヒアリングできたよ。でも彼女が歌っているフレーズは明らかに“Satisfaction”とは別の曲。と思ったが、そうではなくやはり“Satisfaction”のようです。カバーと言うより自分のメロディで歌っててオリジナルと言ったほうがいいんじゃないだろうか。カバーであることを認識する頃にこの曲は終わった。
んで、開演から1時間を過ぎた頃だろうか。知っているぞ。これは“Back Of Your Head”のギターフレーズ。だが、僕の全然聴いたことのない歌詞を歌う彼女。アドリブなのか?カッコイイことに変わりないんだけど。やっぱ知っている曲も演奏って欲しかったのよね。その“Back Of Your Head”と同じく、アルバムでは聴けない歌いまわし、歌詞を織り交ぜ“Moonshiner”を歌い上げると、この日3回目の拍手の中、店のカウンター奥に姿を消した。1時間半弱程でいったい何曲演奏ってくれたのか確認することは不可能だったが、実に濃い時間を過ごせたと思う。知っていたのは“Back Of Your Head”と“Moonshiner”の2曲。2曲ともCDで聴けるものとは全く別の曲になっていたけど。“Nude As The News”が聴きたかったなぁ。

この次の日の公演も観に行こうと電話をしたが、予約でいっぱいとのこと。残念でした。
2003年1月12日かくだ

一青窈 @ 札幌ペニーレーン    2003年2月22日

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これは夢なの? まさかのJ−POP初進出ッ!
此即黄金体験超貴重的文書!! たどり着いた最後のサンクチュアリは“オリコンチャートの煌き”一青窈なのか!?
「ティーンエイジ・ファンクラブ」も「ゆず」も同じようなもんだ。

2002年、新宿を震源地とした神をも恐れぬこの罪深き発言を皆さんは覚えているだろうか。「ほんの出来心だった」というぬるい言い訳など通じないドス黒く薄気味悪いこの発言を皆さんは今もなお罰しているのだろうか。この発言を思い起こすたびに湧き上がるのは熱された中華鍋のような怒りなのかもしれない。だが落ち着いてほしい。怒りに任せた自己の正義で相手の正義を断罪するのは簡単である。今やるべきことは即席ラーメンのように簡単で早い決断を下すのではなく、互いの言い分と考えを十分に咀嚼した後の結論を生み出すことである。重要な事はいったい何が彼をそのような発言へと導いたのか、そこへ至るまでの過程じゃないだろうか。

目的もなく街をうろついただけで聞こえてくる邦楽。その中でも最近よく聞かされている内の一つに、今最も旬なアーティストであるこの一青窈(ひととよう)が挙げられるだろう。この‘ええいああ〜 君からもら〜い泣き’というフレーズを洋楽ロックしか聞かないあなたでさえも、例えば横浜の新星堂あたりで聞いているはずである。そして確実に分かっていることは一青窈のアルバムを買ってジョイナスの駐車場代金1時間無料分に充てている輩がパチンコ玉のように画一的に、そして無数にいるはずなのだ。しかし先に述べたように断罪するのは容易なことである。ここで重要なのはパチンコ玉の気持ちを知ること。一見全く意味のわからないシュレディンガーの波動方程式理論に思えるかもしれないがパチンコ玉の気持ちを知るには自分がパチンコ玉になるしかない。今回の僕は神の啓示を受けた聖なる殉教者なのである。

会場の札幌ペニーレーンはキャパ500、少し広めのレストランのようなビルであった。すごく小さい会場のためこんな場所に本当に来るのだろうかなどと思ったりもした。大雪の中を近くの駐車場で整理番号順に待つという配給を受け取る捕虜兵のような扱いを受けている間も僕はここが極寒の北海道であるなんて事はすっかり忘れてしまい、何故か不思議な気持ちにさせられるのだった。ある程度のライヴなれをしている自信は確かにあったのだがピザの生地を練る事も許されない新米のコックのようにおろおろしてしまうのだ。とても恥ずかしい気分だ。周りが若い客ばかりというのではなく、同年代を中心とした男女比率も半々くらいの客層であり普通のライヴなら緊張する要素なんてないのだがなんだか落ち着かない。J−POPの呪縛なのか。落ち着けない理由がわからないなんて事が今までにあっただろうか。いつのまにか時間を刻む時計の針は18時30分を過ぎていた。そしてほぼ定刻どおりに、雪原の林に差し込むような暖かい山吹色の光の中に一青窈が現れた。

窈ちゃん、ちょぉぉ〜カワイイッ!

写真で見るのと違うよね。実物のほうがよっぽど良いよ。もちろん写真もそれはそれでありだけどさ。黄色いドレスが民族衣装みたいな雰囲気でとっても似合ってるよぉ〜。こんなに近くで見られるなんて何かウソみて〜だな。1.5列目だもん。こんなに近いなんてありかぁ(笑)。でもってオープニングの曲は「あこるでぃおん」。アルバムの最初と同じだね。お次はシングルのみに収録されている「翡翠」。漢字の読めないアホな連中のために振り仮名を教えてやろうか「ひ・す・い」まったくしょうがねぇ〜よな。漢字ドリルでもやったら?そしてMCに入るんだけどそれがスゲエおもしろいんだって。キノコを取りに行こうとしてマリオが穴に落ちちゃうことってあるよね。それを『キノコ心中』っていうの?あははっ、そんな事どこで調べたんだよぉ〜(爆)。ちょ〜笑える。で、曲に戻って「sunny side up」。ほ〜んとに歌うまいよね。三国無双ってゲームのエンディング・テーマにも使われている「生路」、未発表曲の「音木箱」。これって次のセカンドシングルに収録されるんだぁ。「心変わり」ときて「月天心」「イマドコ」「犬」のメドレーのような展開。ダイナミックさもあるんだぁ。この流れはちょっと予想できなかったよん。っていつの間にか裸足じゃん、やるねぇ。「ジャングルジム」のあとは今年の紅白出場間違いなしの「もらい泣き」。すんげぇよ、アルバムの肝なだけはあるよ。「アリガ十々」で深々とお辞儀をした窈ちゃん。こっちがお礼を言いたいって(礼)。アンコールではTシャツにパンツルック。これもまたカワイイな〜。お客さんみんなで「ダージャー」っていう発音練習をした後「大家」セカンドシングルの1曲目になるのかぁ。たのしみだな、たのしみだな。さいごは詩を読むように「望春風」。持ち歌全部やったんだね。いやあカンドーしたよ。

この日、窈ちゃんが初めに目を合わせた観客は間違いなくオレだね。排気ガスにまみれて正常な判断ができない都会人どもは「おまえの錯覚だ」、「そういう奴っているんだよな」なんて誹謗中傷を浴びせるに違いないけど。いや、でも事実だからさ。嫉妬しないでよ。つまり言いたいのはさ・・

「一青窈」が上で「ティーンエイジ・ファンクラブ」が下ってこと。
2003年2月23日ybk

DANIEL JOHNSTON @ 渋谷クラブクアトロ    2003年2月23日

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自分の一番好きなアーティストの音楽が一番優れている。誰でも一度はそう考えてしまう時期があるものだ。巨大掲示板2ちゃんねるの音楽関係の板では常にアーティスト名とアーティスト名の間に不等号を入れ、優劣を示してそのファンを煽る書き込みをよく目にする。新譜紹介でライターが作品に点数をつけたり、アルバム・オブ・ジ・イヤー等といったランキングの企画/記事を掲載する音楽雑誌もある。この「アーティスト/作品に優劣をつける」行動を嫌う人たちがいる。ロッキング・オンはアーティストの作品を尊重する傾向にあったのか、これらのことは行われてこなかった。そのことを音楽ファンに評価されていた部分もあったと思う。しかし2003年2月号でロッキング・オンは2002年度アルバム・オブ・ジ・イヤーという記事を作成した。ロッキング・オン初の試みであり、読者の反応は賛否両論であった。(話がそれるが、ロッキング・オン社は自社の雑誌を廃刊したことがないことを誇りにしているが、音楽雑誌BUZZが休刊に追い込まれた。これらの雑誌には一昔前、増井修がロッキング・オンの編集長をしていた頃の勢いは全く見られない。)

昔から、僕には理解できない世界があった。美術の世界である。学生の頃、美術の教科書に載っている作品には僕の目には無価値にしか見えないものがたくさんあった。でも、きっと見る人が見ればすごいってことが分かるんだろうなぁと思っていた。TV番組等でも骨董品を見て「いい仕事ですねぇ。」とかコメントしている人を見ると、分かる人には分かるんだなぁと思っていた。先日発掘されたゴッホの作品はその絵自体には1万円ほどの価値しかなかったという。しかし、『ゴッホが書いた』という事実が判明すると価格は数千倍にもなった。

「なんだ。俺と何も変わらないじゃん。」

そう思った。廃盤や限定もの、アーティストのサイン等を欲しがる僕と何一つ変わりはしないと。僕は“美術”というものはもっと崇高なものかと思っていたけど、その程度だった。勘違いしていた。ちょっとがっかりした。僕のような音楽ファン、僕には理解できないがビンテージもののジーンズやスニーカーに価値を感じる人達と何ら違いはないことを最近ようやく知った。

話を元に戻そう。『自分の好きな音楽は優れているに決まっている。』、『○ずもT○Cも同じ』、『T○Cより一○○が上』。今日僕はそんなこととは一切無関係なものを見てきた。

『白髪だ。』それが第一印象だった。

CAT POWERでの反省を活かせず、全く予習なしといっても良い状態でこの時を迎えてしまった。CAT POWERの来日公演2日目が行けなかったために購入した今日のチケット。僕の価値観からすれば良いとは言いがたいジャケットの最新作『FEAR YOURSELF』だけは予習して繰り返し聴いてはみたが、僕の琴線に触れる部分は少なくなんとなくここまで来てしまった感は否めなかった。チケットはソールドアウト。外にはチケットを入手できないファンが数人居た。会場は人が多く息苦しい。おかげでKurt Cobainが一躍有名にした『Hi How Are You』のTシャツは入手できなかった。が、彼が登場しただけでお腹がいっぱいになった。オープニングアクトのCalvin Johnsonとその仲間たちが引っ張りすぎたせいではない。いや、そうでもないかも。なぜかギターケースごとステージに持ち込み、小さく見える1リットルのVolvicのペットボトルと使い捨てのコップと鞄を手にDaniel Johnstonは現れた。ファイルとギターを取り出し、徐に歌いだす。分かりやすい曲と分かりやすい詞。楽器もできないくせに偉そうなことを言わせてもらうと、決して演奏も歌もうまくはない。っていうか下手。ルックスやテクニックなど関係なく、その歌だけでこのクラブクアトロをいっぱいにし、数々のアーティストに影響を与えてきた。一曲終わる度にオーディエンスは全身全霊で彼に拍手を送る。彼は自分のできることをしているだけ。目の前で起こっていることを他のどんな何かと比較しても優れている点を探すのは難しかった。しかし、僕は彼のパフォーマンスを見て、聴いて、感じて、確実に幸せであった。自分でそう感じたことを大切にしたいと思った。この時感じたこの小さな興奮が味わえるから僕は音楽を聴いている。高いチケットを買って足を運んでいる。そんな自分を再認識した。何が書いてあるのかわからないが、ファイルのページをペラペラとめくり、思いつくままに曲を選んでは演奏しているようだった。ギターを置いてピアノの前に座りなおし、数曲歌うとそそくさとステージから去っていった。

何だったのだろうか。良く分からないというのが正直な感想だろう。会場の客にはかつて見たことのないほど多様な年齢やファッションの人たちが見られた。あの歌だけでこれだけの人たちに受け入れられるというのは本当にすごいことだと思う。世の中にはこういった音楽が多数存在するのかと思うとゾクゾクする。少しでも自分が心の底から良いと思える音楽に出会いたい。そう思った。
2003年2月24日かくだ

TEENAGE FANCLUB @ 新宿リキッドルーム    2003年3月3日

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我が家では、僕の行くLIVEのチケット代は僕の小遣いとは別の予算から出され、僕個人には経済的負担はない。いや、正確には会場までの電車賃や食事等は僕の小遣いから捻出しているが、チケット代で家計を圧迫しておいてそれ以上のものを望むには僕の手取りは少なすぎる。年収が1.5倍くらいになったら、それくらい出してもらっても良いのかもしれない。そんな日が本当に来るのかは甚だ疑問ではあるが。

優しい眼差しで温かく本サイトに目を通していただけるような心の広い方しかお気づきではないかもしれないが、2002年末のSLEATER-KINNEY、2003年1月のCAT POWER、2月のDANIEL JOHNSTONと、年末年始は毎月のようにLIVEに足を運んでいた。そして3月もTFCの来日公演が決定したが、平日はいつ発生するか分からない残業を恐れて僕は行くのをあきらめていた。しかし休日である3月8日土曜日の赤坂BLIZで追加公演が決定し即チケットを購入。これで4ヶ月連続。大丈夫なのだろうか?何が大丈夫かというと我が家の家計である。

そして3月2日。そこに追い討ちをかけるように嫁さんの友人から3月3日のTFC来日公演初日のチケットを安く譲ってもらう話が来る。家計のことを気にするフリをしながらも心の中ではラインダンスを踊っていた。

翌日3月3日。2003年TFC来日公演初日。僕は定時で退社し、そそくさと新宿に向かう。リキッド・ルームの入口ではなぜかエレベータを使わせてもらえず、階段をひたすら上る羽目に。スーツにコートを着たもうすぐ30歳になるおっさん臭が漂い始めた僕には少々厳しい出迎えであった。さらにもうひとつ、オープニングアクトのバンドの音は個人的には好みではあったが、どうも今のTFCのファンには不向きであるように思えて同情した。しかしVo.兼G.の彼女のアクションは全く様になっていなくて僕をがっかりさせその同情もどこかへ行ってしまった。彼女の動きは取って付けたようで全く自然体ではなく、LIVE慣れしていないような印象さえ僕に与えた。日本人のHIPHOPやR&BのMCや歌手が歌っているときの手の動きを目にしたときに感じるのと同じ種類の居心地の悪さである。

仕事と件の階段による疲労とコートにカバンという重装備のため、開演するまではサウンドブース付近で様子を見ていた。オープニングアクトの終演からかなりの時間を待たされ、その時間に比例してカバンのヒモは僕の肩に食い込み僕の体力を奪っていった。

数十分後、登場したメンバー。Normanの"コンバンワ、ミナサン"の一言でその疲労はいくらか癒されたものの、続いて開始された"About You"で得られた昂揚感は僕の体力を完全に回復してくれるほどのものではなかった。せっかくのTFCのLIVEではあったが残念ながらこの位置で遠巻きから傍観させてもらうことにした。

初めてLIVEで聴いた“Did I Say”は僕の琴線を乱れ撃ち、“Star Sign”は僕の心を揺さぶり、“Planets”はここではない何処かへ誘われ、“Mellow Doubt”や“Sparky's Dream”は部屋で体を小さくして『GRAND PRIX』を聴いていた僕の青春時代のあの時を回想させ、“The World'll Be OK”で‘世界はきっと大丈夫だよ’と僕は優しく勇気付けられる。僕はじっとしていても心だけは揺り動かされ踊らされた。

LIVE中は‘次は何?’と期待でいっぱい、どんな曲が演奏されても大喜び。金太郎飴状態。素晴らしかった。最後は“The Concept”から“Satan”へ流れ込み爆発!余力を全てこの瞬間に注ぎ込む。年寄りにはハードな曲はこれくらいで丁度良かったですわ。

TFCって本当に良いものですね。

セットリスト 2003年3月3日 新宿リキッド・ルーム
01.About You
02.Start Again
03.Don't Look Back
04.Your Love Is The Place Where I Come From
05.Did I Say
06.Star Sign
07.What You Do To Me
08.Verisimilitude
09.Planets
10.I Need Direction
11.Mellow Doubt
12.Ain't That Enough
13.The World'll Be OK
14.The Cabbage
15.Sparky's Dream
16.Everything Flows
アンコール
17.I Don't Want Control Of You
18.Discolite
19.The Concept - Satan
2003年3月23日かくだ

注:この文章には一部創作された個所があります。

TEENAGE FANCLUB @ 赤坂ブリッツ    2003年3月8日

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3月3日のTFC来日公演初日は様々な障害により、精神的、肉体的に健全ではない状態での参戦で少々残念な部分もあった。そのリキッド・ルームからの帰り道で僕はブリッツ公演での再戦を堅く心に誓った。 ところがそのブリッツ公演に一緒に行くはずだった嫁さんがダウンし、僕も行くのを諦めようと思ったがせっかくのチケットが無駄になるというケチな考えから一人で赤坂見附へ行くことにする。目的は2つ。僕一人でリキッド・ルームでのリベンジを果たすことと、この余った嫁さんの分のチケットを換金することである。出発前から意気消沈。自力でチケットを持っていない人を探せるか不安が過る。

赤坂見附の駅からエスカレーターで地上に出て、さらにブリッツまでの階段を上って行く。すると、ダフ屋のにいちゃんが声をかけてきたので様子を見るために余ったチケットの話をする。‘当日券出てるからねぇ・・・’とのリアクション。僕がその場を去ろうとすると‘\1500でどお?’ときたが丁寧にお断りした。その後ブリッツに到着し、当日券を販売している窓口前で待ち構えてみたら、すぐ一人の女の子が窓口へ向かって来た。係員が窓口に誘導しているところを声をかけ、無理やり窓口から引き離しチケットが余っている旨を話す。あっさり交渉成立。係員に嫌な顔をされ、‘そう言うことはここでやらないでください’と2度も注意を受ける。つい数日前にTFCの来日公演を知ったという彼女。追加があって良かったですよね。僕もあなたに会えて良かったです。定価で買引き取ってもらえて助かりました。その節はありがとうございました。

チケットを捌くために早めに会場に到着してしまい、開演までに時間がたっぷり。ブリッツの中でボーっとしていたら、リキッド・ルームで見たミネアポリス9みたいな名前のオープニングアクトの話で盛り上がっている一団がいた。どうやら今日の追加公演には出演しないことを知らなかったようだ。

この手のLIVEって平日の公演は開場6時、開演7時で、休日は開場5時、開演6時というのが一般的。この日は土曜日で開演5時、開場6時でオープニングアクトも無しと言うことで時間はたっぷり。さらに最終日と言うことでサービスしてくれるんではないかと期待した。と言うのも僕が見られなかった3月4日のリキッド・ルームのセットリストには“Alcoholiday”、“He'd Be A Diamond”が含まれていたと言う。特に愛してやまないこれらの曲を今日は聴ける可能性が高いのではないかと考えていたのだ。しかし、終わってみれば・・・。ああ、良いんですよ。次は何かなぁとハラハラドキドキの2時間でした。20曲以上も演奏してくれたし、十分です。でも、余計な考えを廻らせて期待しすぎたんですよぉ・・・。素直な気持ちで望めば良かったなぁ。マジ聴きたかったっす。3月4日のリキッド・ルームに参戦すれば良かった・・・。いや、仕事で不可能だったんだけどね・・・。愚痴ばかりでごめんなさい。終り。

セットリスト 2003年3月8日 赤坂ブリッツ
01.Hang On
02.What You Do To Me
03.Verisimilitude
04.Radio
05.The Cabbage
06.Near You
07.About You
08.Ain't That Enougth
09.I Don't Want Control OF You
10.Discolite
11.The World'll Be OK
12.I Need Direction
13.Mellow Doubt
14.Metal Baby
15.Your Love IS The Place Where I Come From
16.Dumb Dumb Dumb
17.Don't Look Back
18.My Uptight Life
19.Sparky'S Dream
20.The Concept
アンコール
21.Empty Space
22.Can't Feel My Soul
23.Planets
24.Star Sign
25.Everything Flows
2003年3月23日かくだ

注:この文章には一部創作された個所があります。

DRAGON ASH @ ゼップ仙台    2003年9月27日

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ウッソみたいなホントの話ッ!奇跡は再び呼び起こされるッ!!情熱と探究心が生んだ実り多き珠玉のレヴューは今こそ史上最高の『収穫』となるッ!!!
伊藤家の食卓に出すアイデアを考えていたらいつの間にか仙台に着いていた。裏ワザをあみ出すという結果を残せなかった点では単なる時間の無駄ではあるが、仙台までの退屈な時間を満たしたと思えば少しは納得がいく。

到着した仙台の街並みは吉祥寺のオシャレなセンスを保ちつつ、成長した100万人都市だ。大都市ではあるが‘ホームレスの存在率世界一’の川崎みたいに消毒したくなるような雰囲気はない。とても清潔な印象を受ける。そして今回の会場であるゼップ仙台は駅から極めて近い。ガード下に位置するため駅ビルようにアクセスが簡単である。外観は倉庫のようなつくりで2階席もあるゆったりとした空間だ。

財布に忍ばせたチケットに目をやりながら並ぶべき列を確認する。やはり整理番号1342番ともなるとかなりの後方なわけで、結局JRの駅員やうどん屋の店員達しか通らない狭い路地へと追いやられた。並んでいる客に目を合わせないようにして様子を伺うと、極めて若い客層であることがわかる。服装は短パンにTシャツが圧倒的だ。たまに、会場では人がたくさん集まっているがいったい誰が来ているのかわからないようなことがあるがこの夜に限ってはそんなことはない。DRAGON ASHであることは一目瞭然である。会場で購入したことが明らかであるTシャツを着ているためDRAGON ASHのスタッフが何人もいるかのようだ。しかしグッズ類は入場してからしか買えないようになっているため、ここにいるかなりの人たちが既にどこかの会場でライヴを体験してきていることは容易に想像できる。

そして若さあふれる人だかりの中で僕はほっとしていた、というのもTシャツの重ね着にブラックジーンズそしてアディダスのスニーカーという社会人というより大学生に近い身なりだったからだ。もしシャツなど着ていようものならパソコンの液晶画面にあるドット(一画面に3点までの製品は不良品とはみなさないため交換できません)のように目立ってしまうところだった。それくらい客層が若さを感じさせる。新しく列に加わる人たちはカバンをコインロッカーに入れタオルを持参することが校則で決められているかのように規則正しく入れていく。カバンを持っている僕だけが、場の空気が読めない二流芸人のようだ。そして開場時間を大幅に遅れて駅の改札口を通過するようにあらかじめ用意させられていたドリンク代500円を支払い入場した。

重たそうな黒塗りの壁の向こう側はすでに隙間なく観客が詰め寄っている。とても前に行くことはできそうにもない。しばらくしてオープニングアクトを努めるPOSSIBILITYが登場、観客たちは既に十分な熱気を帯び始めている。軽く5曲ほど歌い上げた後満足そうに引き下がって行った。

そして会場の熱気を閉じ込めておくかのようにステージの手前に一旦スクリーンが下ろされる。ツアー名とシンボルが映し出されたスクリーンの向こう側でメインアクトのための機材が手際よく搬入されているのがうっすらと見える。イントロが流れ出しスクリーンにゆっくりゆれて落ちる羽が映しだされ、シルエットだけの彼らが登場した。幕が開き、すかさず“House Of Velocity”が、そして“Posse in Noise”、“Revive”というアルバム『HARVEST』と同じ流れでスタートした。ヒット曲らしい“陽はまたのぼりくりかえす(?)”など観客のニーズに答えているが僕のニーズはつかめていない曲が演奏されてゆく。というか知らないのは観客の中で僕だけらしい。どことなくドラムンベース的な“Canvas”、ワールドカップの時によく流され、CMにも使われていた“Fantasista”では今日一番の盛り上がりをみせた。皆掛け声を心得ており息もピッタリだ。“Harvest”等が演奏され2回目のアンコールにはアルバムの最後を再現するかのように面白い演出もあった。

すべてが終わり開場を出て小雨に打たれながら振り返って考えると、バックスクリーンに流しだされる映像などはとても作り込まれているし、音響も抜群に良く、四次元的な感覚を意識した御香(アロマテラピー)のにおいを振りまくという演出にはとても驚かされた。しかし疑問もある。DRAGON ASHのダンスのみ担当の二人は本当に必要なのだろうか。帰りの新幹線ではそのことについて考えてみたい。
2003年9月30日ybk

FOUNTAINS OF WAYNE @ クラブチッタ川崎    2003年10月5日

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人間は反省をする動物だそうだが、いくら反省をしたって、失敗した事実は消えることはない。後悔だけが残る。

失敗#1.夕食に入った美味くないエイジアンレストラン(ブッフェ形式でお値段はリーズナブルだったけど)。
失敗#2.チネチッタエリアの変貌に対する驚き。
失敗#3.開場に到着して知った20MILESの出演(しかもJudah(ex.ジョンスペ)だと気付いたのは演奏も終盤の頃)。
失敗#4.裏切られたアジカンへの期待(音を聴いたことがないけど楽しみにしてた)。
失敗#5.開演前に“Leave The Byker”を流して咎められるDJ(ex.ホフディラン)。
失敗#6.20MILES、功夫世代に次いで登場したDavid Meadのファッションやヘアスタイル。

この日のLIVEはF.O.W.がトリを務めるクラブチッタ川崎15周年イベント。そのために訪れたインダストリアルシティ=川崎にて遭遇したこれらの出来事は、事前の調査さえ十分であれば、もっと上手く対処できたはずだ。R&Dと名のつく部署に勤務する人間としてはリサーチが不足していたという事実は否めない。いつもそうだ。あの時ああすれば良かったと後悔してばかり。たとえプッチ神父のスタンド「ステアウェイ・トゥ・ヘヴン」(この命名は秀逸だと思うが、何故かコミックスではメイド・イン・ヘヴンに変更されていた)の能力により、これから起こる全ての出来事を事前に認識できたとしても、覚悟なんて僕にはできやしない。後悔だけが残る。

開場後30分ほどして入場したクラブチッタの階段の踊り場の壁に貼られたフライヤーが僕の目に留まった。

HEAVY METAL SOUNDHOUSE 2003
MASA ITO/KOH SAKAI
12/21(日) open 16:00/start 17:00

学生時代、TVKの音楽番組を毎日噛り付いてみていたあの頃。水曜日は夕方5時に横浜そごうのMM21スタジオからV.J.伊藤政則(以下メタルゴッド)がお送りしていたHR/HMの番組“ミュージック・トマト”(後に“BANG-UP ROCK”、“ROCK CITY”と番組名と時間帯を変えながら現在も放送中)の記憶が鮮明に蘇った。この“ミュートマ”水曜日の番組内にて90年代初頭、正にGRUNGE/ALTERNATIVEと呼ばれる音楽が燻りだした頃、メタルゴッドはFAITH NO MOREのPVを流すという暴挙に出た。日本の純粋なHR/HMファンには決して受け入れられることのないこの行動は、友人softsから僕へと語り継がれた。 “BANG-UP RCOK”の番組内にて90年代半ば、GRUNGE/ALTERNATIVEと呼ばれた音楽が終焉を迎えた頃、メタルゴッドの代打として番組を取り仕切った酒井康氏は、「CMの後はPEARL JAMのEddie Vedder死亡のニュースです。」というネタで視聴者を煽った。確信犯である。そんなことを思い出し、誰にでも恥ずべき過去はあるものだと今日の自分の失敗を慰めた。

久しぶりにマッタリとした気分で望んだLIVEだった。‘FLAMING LIPS EXPELIMENT’と書かれたTシャツ、サングラス、テンガロンハット、浅めに穿いたジーンズで登場したChris Collingwoodの腕は細く、後退した金髪は神経質な雰囲気を醸し出していたが、妙に流暢に聞こえる「アリガトー」という言葉にマイナスだった第一印象は払拭された。マッタリとメロディーを楽しむつもりでいたが、LIVEは思ったよりもROCKしていた。左のGuitaristはロックスター的なオーバーアクションでオーディエンスを煽り、シングル曲やアップテンポな曲ではステージ前はかなり盛り上がっていてハードなLIVEであった。意味不明のチーズのサービスや、2度も応えてくれたアンコールも楽しませてもらった。LIVE中は、F.O.W.の曲が全て完全なポップソングであることを痛感した。悪い意味での遊び心は一切なく、規則正しくしくVerseとChorusで構築され、どの曲をとっても良い意味でラジオフレンドリーであり、シングルカットに堪えうるメロディーを持つ。一度聴いただけで誰でも口ずさむことができる。2歳と3ヶ月になる我が愚息も、“Radiation Vibe”を耳にすると‘Baby Baby Baby〜♪’と‘Shine On〜 Shine On〜 Shine On〜♪’と彼なりに歌い出すほどだ。帰りのチッタ出口付近の柵による誘導方法はどうかと思ったが、大変満足の行く内容であった。15周年おめでとう。クラブチッタ川崎。


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このLIVE2日後、偶然にも5年ぶりくらいに目にしたメタルゴッドの番組ROCK CITY。時間帯や撮影場所が変わってもメタルゴッドのメガネとヘアスタイルはあの当時と変わらず。そのシャツのセンスも。だが、その時流されたPVの選曲に僕は大変驚かされた。番組の内容、というか視聴者のターゲットが大きく変わっていたのだ。ゴッドの今年のアルバムトップ10に入るという前置きで流されたMARS VOLTA。続けてA PERFECT CIRCLE、ANDREW W.K.、THE DARKNESSと、HR/HM誌Burrn!では表紙になることはないであろうこれらのバンドのPVを流しつづけた。

あの時、FAITH NO MOREのPVを流したのは間違いではなかった。

ALTERNATIVEが台頭した90年、同時期に浮上したFISHBONEやRED HOT CHILI PEPPTERSに比べ、よりROCK色を全面に押し出したF.N.M.はメタルゴッドの御眼鏡にかなったのだ。間違って流されたわけではない。ピュアなMETALファンが聴くことがないであろうALICE IN CHAINSやSOUNDGARDENのライナーノーツを彼が書いていたことや、音楽誌ROCKIN'ONの企画『メタル十番勝負』の最終回に登場し、METAL以外にもHARD CORE等を含む毎月大量のレコードを購入し、聴いているという旨の彼の発言を思い出した。僕の彼に対するHR/HM一辺倒のイメージや、メタルゴッドという呼び名は彼の一面を表しているに過ぎなかったのだ。

僕の犯した失敗も、時間をかけて再解釈すれば良い経験だったと思えるかもしれない。そう考えを改めかけたその時、彼は次回の番組予告を始めた。

「次回のROCK CITYはJohn Bon Joviの単独インタビューをお送りします。」

やはり彼はメタルゴッドだ。何一つ変わっちゃいない。メガネの奥のその瞳の輝きも。改めかけた考えをもう一度改め直した。

ROCK CITY(10月7日放送)リスト
01.All That's Left/THRICE
02.Inertiatic ESP/MARS VOLTA
03.Weak And Powerless/A PERFECT CIRCLE
04.Long Live The Party/ANDREW W.K.
05.I Believe In A Thing Called Love/THE DARKNESS
2003年10月10日かくだ

DRAGON ASH @ 岩手産業文化センター    2003年11月01日

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史上初! レヴューと歌詞で一挙両得、歴史的フュージョンレヴュー!!!
※今回のレヴューは歌詞としても活用できます。勝手にメロディーを付けてお楽しみください。


ここは盛岡森の中 待たされてんのは広場の中央
草がぼうぼうくるぶし包み 吹き抜ける風ピューピュー冷てぇ〜
こんなところにプチ武道館 ちょっと感動心から感激

まずは“P”で始まるプロローグ キッズも騒ぐ出だしはGood!
オレ等のDA登場したら 歓声倍増100倍増
オープニングは“House of Velocity” 高揚感が辺りを包む
“Posse in Noise”で開場がゆれる ここは地震の震源地なのさ

“Revive”の後はおなじみのあいつら
“United Rhythm”でPOSSIBILITYの再登場で最高潮
どこかへ誘うような“Canvas”のメロディー 浮遊感覚小宇宙の真っ只中
“Massy Evolution”で会場をMassiveな総攻撃
昔懐かしいアルバムからは“百合の花の咲く場所で”でノスタルジック
ロジックはロックのリストに皆 大ma-n-zo-ku ヒット曲連発に心もゾクゾク
“陽はまたのぼりくりかえす”で落ち着きと静寂を取り戻したと思ったら
ゲストにSBKの最強二人組みが参上 “Episode4”のライムが極上
とどめは“Fantasista”の大爆発da
いつもよりも飛び跳ねる観客 増した光が包むそこらじゅうをスコール

アンコールの後はいつもより多目の生かした5曲で物語が完結なのか!?
ちょっと待ってよ 今日はベースのイクゾーさんの38歳の誕生日
ローソクついたケーキがやってきて ふっと消されてさようなら
もう少し奏でてくれ 最後は“Harvest”なんだろ

もう終わりかと思いきやSAKURI MAKORIの再々登場
アルバム最後に収録されてる おまけのようなちょっとしたアクシデント
得した気分でなんかいい気分
この先何処目指すように Goin’on いまは思いを馳せ
2003年10月04日ybk

THE MARS VOLTA @ 渋谷クラブクアトロ    2004年1月10日

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ブレイクビーツというか、サウンドコラージュと呼ばれるような手法を取る曲が苦手な僕。オープニングアクトのDJのプレイを聴いて思った。リズムさえあればあとはどんな音(ノイズ)が上に乗っていても、それを脳内でメロディに昇華させることができれば曲として成立するのだと。ビートがなく音を創り出しているDJ本人がノれていない音を垂れ流されても僕は突っ立っているしかなかった。ビートさえあればダンスミュージックとして成立する。しかし、彼のプレイは僕の耳にとってはTVゲームの効果音程度の存在にしか成り得ない。本来、あの場ではどのようなリアクションを起こすのが適切だったのだろうか。踊ることも昂揚感を得ることもなく時は過ぎていった。

これほどステージに釘付けにされるLIVEは初めてであった。

このLIVE前日の1月9日スペースシャワーTVの番組BBL生放送で見たCedric Zavala - VocalsとOmar Rodriguez-Lopez - Guitarのアフロは控えめであったが、ステージに登場したアフロズのアフロのボリュームはLIVEへの意気込みを感じさせた。Cedricは相変わらずのピチピチの黒Tシャツ、Omarは赤いシャツで登場した。メンバー各々が好き勝手に音を出し始め、ドンピシャで“Roulette Dares (The Haunt Of)”へ雪崩れ込んだ。会場は既に沸点。僕が気付いたときにはOmarは既にメガネを外しており、ドラマーはFUCK BUSHとプリントされたTシャツを脱ぎ捨てていた。やはりCedricの独創的なダンスにのみ注意がいってしまうが、よくよく細かく彼を観察すると黒Tシャツは右肩付近が裂け、その背中からはオーラのような湯気が立ち上がり、踊り狂ううちにウエスト付近の赤いパンツすら拝むことができた。強靭な肉体を持つドラマーが全身全霊を込めてドラムを叩く姿とCedricの動きを目の当たりにすると、神秘的という表現は適さないが、その場には神憑りと言うか、特殊な磁場の存在を感じずにはいられない。そのステージの狭さも幸いし、メンバーがドラムを取り囲むように配された魔方陣のようなステージから僕は目を離すことができず、ずっと背伸びをした状態で踊ることを強いられる。繰り返しになるが、これほど視覚的にも訴えるLIVEも珍しい。

マラカスを振りまくり、時にはシャウトするCedricであるが、有線のマイクとマイクスタンドを扱う様はまるで楽器を奏でるが如く。もし視覚で音を聴くことができるのなら、マイクやマイクのケーブルやマイクスタンドからもさぞ刺激的な音が出ていたことだろう。

メンバーのその場のノリで曲の展開が変化しても、誰も外した音を出したりすることもない。延々とリフを繰り返しても、ドラマーのタイトなリズムと、その音を補完するかのごとくボトムを塗り潰すベーシストのプレイで踊らされ、Omarのギターフレーズに酔い痴れる。Cedricが即興で何かを口ずさめば、そこには極上のメロディが宿り、僕の脳を刺激する。僕がAT THE DRIVE-INを聴いていて不足していると感じたメロディがここでは溢れるように湧いて出る。曲がブレイクするまでその緊張感が途切れることはない。一つの曲をこれでもかと言わんばかりに引っ張っても全くダレたりしない。

ただ、残念なことに僕の近くに居た男性二人組みは所々でお互いに聞こえるように大声で話をしており、ステージに集中しようとする僕の邪魔をした。年始のバーゲンに車で出かけた我が母は、駐車場待ちの車の行列でおばちゃんの車に割り込こまれたそうな。そこで我が母は車から降りて直接そのおばちゃんドライバーに苦言を呈したという。そんな武勇伝を聞いたばかりだった僕は、その二人組みにも注意を促そうかとも考えたが、事なかれ主義の僕が実行に移せるわけもなかった。また、僕が陣取った位置はクアトロ名物の左っ側の柱により、ステージの左側がほとんど見えないような状態であった上、目の前に身長180cm以上ある男性が3人も居り、更に僕の視界を遮った。僕の後ろにいる人にとっては僕を含む4つの頭がさぞかし邪魔であったことであろう。自分の存在が、他のオーディエンスにとってどれほど邪魔な存在かを自覚した年初であった。今後、スタンディングのLIVEでは後頭部に殺気を感じずに入られないだろう。ちなみに、前日BBLでも発言していた通りブライアン・バートン・ルイス氏も来ていたが、あまり長居せずに立ち去っていったようだった。

会場を出るタイミングを逸しクアトロの出口までの道のりを汗まみれの若者達に囲まれてしまった僕。彼らの汗を十二分に吸収したTHE MARS VOLTA Tシャツは、帰宅後真っ直ぐ洗濯機へ投げ込まれるのであった。
2004年1月16日かくだ

DASHBOARD CONFESSIONAL @ 渋谷O-EAST    2004年2月19日

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京都から帰ってきたついでに行ってみましたレヴュー! おい銀閣寺ッ!! 閉まるのが早すぎるんだよ、コノヤロォ〜!? 行った意味ねぇよ、ちくしょ〜!!!
渋谷オンエア・イースト菌
「DASHBOARDと一緒に歌いたい方は参考にしてください。」

前売券の整理番号をマッキー(油性)で書き換えられただけの乱暴な当日券を切られた後、ANTHRAXのチラシとともにもう一枚の紙をもらった。そのメタルではない方の紙に目をやると3曲分の英語の歌詞のとなりには英語の発音が無理矢理カタカナで書いてある。つまり正確な発音ではないにしろこれを見ればそこそこ歌うことができるわけだ。これほどの、ある意味宗教活動みたいな下準備は親切なのではあるが半ば強制的にも思える。「この紙を渡したのだから、ちゃんとに歌ってください」とおしつけがましく言われているような気がしないでもない。一緒に歌わなければ弁当を忘れた中学生のように孤立してしまうような、とんでもなく気まずい雰囲気になってしまうのだろうかという不安に駆られた。この日のための予習をしなかったのが大変悔やまれる。いつもろくに予習をしないけれど改めて悔やまれる。後に知った情報によるとWEEZERのオープニングアクトという名の前座として全米のツアーでファンを増やし、どちらかというと派手な宣伝効果がもたらした成功というよりも口コミによる広がりでリスナーを獲得してきたというのが一般的な説であるようだ。アメリカでのDASHBOARD CONFESSIONALは3000人から4000人の会場を余裕で集客することができるともいわれる。そしてみんなが大きい声でいっしょに歌うのが当たり前のことになっているようなファンとの関係が親密なバンドであるようだ。しかし会場を見回したところ満員とはいかないまでも果たしてLIVEが成り立つのかというくらいの人数しかいないので、直接のバンド関係者ではないのだがかなり不安になって来る。吉野家は行けてもデニーズを満席にはできない程度だ。こうしてみると本土と日本との温度差が相当に激しいバンドであるに違いない。会場の後ろは人がまばらで座り込む人もいるくらいだ。こんなことはきっとアメリカでは考えられないことであるはずだ。そして特徴的ともいえるのは外国人が会場の1割以上、しかもかなり若い客層がいることだろうか。そして最終的には心配も杞憂だったようで開演直前にもなる観客が会場を十分に満たすほどになった。

今日の主人公であるChris Carrabbaは一人で登場した。写真で見たときよりは髪型が7:3分けになっていることもあり落ち着いた青年をという印象を与えた。袖をまくったシャツとジーンズ姿でギターを奏でていく。会場の壁をビリヤードのように反射していくような直線的で正直な音からギターの弦が最大限の力を持って張られていることが手に取るようにわかる。“The Swiss Army Romance”の後半では和田アキ子並にマイクから口を遠ざけて歌うのだが、声のボリュームが衰えることなどない力強い歌声だ。歌唱力は圧倒的だといっていいだろう。一生懸命に歌うほど顔がくしゃくしゃになっていく。まさに正統派といった歌の良さでファン層を拡大してきたのだろう。メタルバンドのようにエネルギーを消費するだけの怒鳴り、汗をかくだけの不要なあおりなどは一切ない。しかしファンサービスも十分に心得ているようで途中ピックを投げ入れることもしていた。投げ入れられた観客もDASHBOARDと同じく常識をわきまえた人たちであり、メタルバンドの観客にありがちな相手を怪我させても自分のものにするような野蛮な連中ではなく至って平和的だ。

一見メタルとは何の共通点も持たないバンドのように見えるが唯一気になるところがある。肩から手首にまで達する刺青だ。もはや若者のファッション感覚であるタトゥーの域を超えてやくざのような洋服ともいうべき刺青だ。今日の服装では長袖のシャツをまくっているので、ひじから手首までのほんの一部分しか見ることができないが、かえって見えない部分が多いほど余計な想像力が働いてしょうがない。「ほんとにスゴいよ!」、「何でそんな刺青入れたの?」、「いつ入れたの?」と本人に聞いてみたいものだがそんなことを最初から最後まで気にしているのはどうやら僕しかいないようで・・・
2004年2月22日ybk

CAT POWER @ 新宿LOFT    2004年6月2日

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久しぶりの歌舞伎町。まるで目の前に警察官でも居るみたいだ。常にデフコン3。この一帯に一歩踏み入れただけで、後ろめたいことは何もなくても、突然誰かが声をかけてきそうで居心地が悪い。この日のCAT POWERのLIVEは違う意味で居心地が悪かった。

開演前の6時50分頃、新宿LOFTに入ると、既に結構込み合っている。ステージには1台のピアノとギターと。ステージの前には多くの人が座っており、オープニング・アクトのWOMEN&CHILDRENが登場する前には、もっと前に詰めてより沢山の人が座れるように促される。後で考えると、ここで座って安心してしまったのが運の尽きだった。その後ステージには一人の女性が。挨拶そこそこにピアノに座り歌いだした彼女。後の自己紹介でようやくこの人がWOMEN&CHILDRENと認識する。僕は勝手にユニットか何かだと思っていてちょっと驚いた。さらに驚いたのが久しぶりとか言いつつ徐に詩を朗読しだした。スポークン・ワードってヤツだ。こういうの初体験。でした。

WOMEN&CHILDRENが終了。次はいよいよCAT POWERとなると、ステージ前には人が雪崩れ込んできて、人だらけ。座っていられない状況となる。仕方なく立ち上がるが、いざCAT POWERが出てきて最初の言葉が“スワッテ、クダサ〜イ”。しかも連呼で。一部のオーディエンスから拍手と“いゃったぁ〜!”、“ザマ〜ミロ!”等の発言が聞こえる。ステージ前方から順に座っていくが、座るには人が多すぎる。大して座れるスペースを確保できるはずもなく、小さく体操座りを強いられる。油断した。失敗だ。

LIVEが始まるものの、窮屈な姿勢では落ち着いて彼女の声を堪能できない。時間が経つに連れ、ケツも痛くなる。彼女の歌を楽しむよりも、早くこの場を抜け出したい気持ちのほうが勝ってくる。早く終わって欲しいなんて思ったり。集中力を削がれる。彼女の思いつきでチンタラ進むLIVE。持ち味が、逆に癪に障る。聴きたかった“I Don't Blame You”はピアノではなくGuitarで演奏ったのは良いが、なんかイマイチ。環境のせいか。じいちゃんの告別式で、ずっと正座を強いられたことを思い出した。早く終われなんて思ったLIVEは初めてだ。立ち上がって逃げ出したい、でも、最後まで見届けたい。そんな葛藤が1時間ほど僕の心の中で繰り広げられる一方、ステージでは彼女がタバコをオーディエンスにサーヴィスしたり。我慢が限界に達した頃、今度は立ち上がることを要求される。

ミラーボールの回転と共に、舌足らずの十代白人女の子のラップが流れ出す。ステージから消えた彼女は、フロア後方から現れ、オーディエンスを掻き分けながらステージに戻ってきた。ラップに合わせて口パクし、フリまでつけてた。海外のファン・サイトではEMINEMの“The Real Slim Shady”をカラオケで歌っていたキュートな彼女。その姿を思い出し、今回の失敗は水に流すことにした。

全くLIVEを楽しむことができず、残念な気持ちで会場を後にした俺は、JR新宿駅へ歩いて向かう。デフコンはもちろん3で。
2004年6月9日かくだ

少年ナイフ @ 代官山ユニット    2004年12月19日

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今年ラストのクリスマスプレゼント・レヴュー!!安らぎと心地よさを与える彼女達こそニルヴァーナへたどり着く最後の架け橋!?
会場までは代官山駅から2分という異常な近さが僕を混乱に陥れた。はたして駅の近くにそんなライヴ会場などあっただろうか。「駅周辺なら何とかわかる」という小さなプライドを小麦粉のように、もはや粒とはいえないほどに打ち砕かれたことを認めなければならなかった。交番で聞けば済む話かもしれないが、そこまでする必要はないという意地が目的地に到達するまでのハードルになっていることは明らかであった。まるで最終的に何を目指して活動しているのかわからない釈由美子のように虚ろな行動をとっていたともいえる。そんなこんなで会場についたのは20分前のことだった。

会場の人間模様はかつてないほど混沌(カオス)としていた。海外での活動を考えればこの外国人の割合も納得いくものであった。それは別にかまわないのだが、どういう訳か彼らが有名人に見えてしょうがないのは未だ代官山をモノにできていない証拠なのだろうか。あのPaul Gilbert風の人もきっと本人ではないに違いない。

意外にも最初に登場したのはナイフの二人だった。アメリカで初期のCDが再発売されるという、決して売りつけようとはしない宣伝と自分たちも身に着けている新作のグッズ紹介を始めた。こうしてみると、まったりしたしゃべりの直子さんといまいち切れの悪い合いの手を入れる敦子さんはさながら10年後のパフィーといえなくもない。

軽いジャブ程度のオープニングの後まずELECTRIC EEL SHOCKが登場した。明らかにメタリカライズドされたものすごい重低音がライヴ会場に来たことを瞬時に思い出させる。自分の洋服が振動するダイレクトな感覚は決してCDでは味わうことのできない喜びに違いない。笑えるMCと終演後に会場内をうろつく親しみやすさがNHKのラジオ出演を可能にしたのだろう。続いてはPOLYSICS。はじめに思ったのだがこのようなバンドだっただろうか。先のバンドにも負けないほどの絶叫とツバ吐き行為が何となく信じられなかった。唯一残ったミステリアスの象徴であるX-MENのサイクロップスのようなサングラスも自分ではずすという始末。帰ったら自分の買ったシングルを聞きなおしてみようと思ったがたぶん捨てているだろう。

こんなにパワフルな演奏の後に少年ナイフでは落差が生じてしまうのではないかと気をもんだがそこは20年選手、そんな心配は宝くじが3億円当たったらどうしようかと考えるくらいに必要なかった。それよりもまたこの段階にきていつもやってくる後悔が始まった。まるで予習をしていない。まるで予習をしていないのだ。曲名までわかったのが2曲目の“E.S.P."と5曲目くらいの“亀の子束子のテーマ”のみ。せめて“バナナチップス”をやってほしかった。まあ、そんな感じですよ。あと何故か中盤で頭も痛くなりましたね、そういえばさ。

だんだん中だるみするくらいならも燃え尽きたほうがマシだ。
2004年12月20日ybk

LE TIGRE @ 渋谷DUO    2005年1月13日

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元BIKINI KILLのKathleen Hannaをセンターに据え、あとの2人のメンバー(ゴメン。名前知らん)は踊る踊る。いきなり心を鷲掴みにされ、目はステージに釘付けである。Kathleenはピンク、後の2人はブルーのワンピース。おそらくこれらの衣装は既製品ではなく、自分で作ったモノっぽい。その音はNEW WAVE?DISCO?俺の聴いたことのある音楽で例えるならB-52'sかBISか。手作り感バリバリの映像をステージに流しつつ、歌う踊る。あっという間にオープニング曲が終わった。その時点では、チェッカーズで言えばKathleenがフミヤで、あとの2人は髭の人ともう一人のコーラス担当程度の認識でいた。だが、曲が変わるたびメイン・ヴォーカル、ギターやヴォイス・チェンジャーをとっかえひっかえしている。過去メンバーの交代があったものの、Kathleenとその他2人ではなく、この3人でLE TIGREであることを思い知らされる。そのギターとヴォイス・チェンジャー以外の音はカラオケ状態。シンセサイザーも使ってたかも。全てから手作り感がバリバリ。まさにD.I.Y.精神。俺はその単語のイメージから脳裏に木工用ボンドを思い浮かべた。そのキュートな振り付けも皆で考えて、一所懸命練習したんだろうなぁ。彼女達の音源を聴いただけでは計り知れないエンターテイメントがそこにはあった。

昨年末にはLE TIGREとTHE MARS VOLTAの来日公演を何よりも楽しみにしていた俺。だが仕事が忙しくチケットの購入を後回しにしていた俺が、いざTHE MARS VOLTAのチケットをゲットしようとたまたま外出先にあったチケットぴあに行ってみると既にチケットは売り切れ。チケット発売日からちょうど一週間が経過していた。自分の愚かさにウンザリし、テンション激減。何だがLE TIGREのチケットの有無の確認もする気が失せてしまった。どうせ仕事で行けないかもしれないしと自分に言い聞かせ、LE TIGREも行かないことにしてチケットを購入しなかった。だからLE TIGREの音源を聴いて予習することもなく。昨年末は発売されたばかりのNIRVANAのBOXセット『WITH THE LIGHTS OUT』を繰り返し聴いていたので、他のものを聴く時間がなかったと言った方が正しいが。唯一、昨年末まだLE TIGREを見に行くつもりでいた時にしたプチ大掃除で、窓拭きの際のBGMに選んだのがLE TIGREの1stアルバム『LE TIGRE』ではあったが。

頭の隅っこにLE TIGREのことはあるものの、東京公演の日付もろくに把握していなかった。さて、1月13日。ふと会社で東京公演当日であることに気付く。だが、考えてみると、前日に数百円の買い物をなけなしの一万円札で支払った覚えが。すなわち、一万円弱しか財布には入っていないことになる。前売りチケットは\5,000だったことを考えると当日券は\5,500。ドリンク代は\500か。Tシャツが高くても\3,500。計\9500。イケルと確信した俺は、急速にテンションが上がる。もし、今日定時に帰れたら、渋谷に向かおうと決心する。と、意気揚々と定時退社目指し黙々と仕事を続けていると、回覧物が。スマトラ沖津波被害者への募金袋だった。・・・。こんなお金に苦慮しているときに限って。Murphy's Lowってヤツか。募金袋にはとりあえずありったけの一円玉を放り込んでスルー。スマトラ沖の方々ゴメンなさい。

職場では皆が黙々と仕事を続ける雰囲気がある中、定時退社。昼休みに調べておいたクリエイティブマン・プロに、当日券の確認をしようと電話してみるが何故か繋がらず。現地に行ってみるしかない。バス共通カードとパスネットが圧倒的な威力を発揮する。お金持っていなくてもバスに乗れる。電車に乗れる。‘JAMIROQUAIのJay Kayプロデュースによる新音楽空間’である会場に着く。当日券は予想通り\5500だったが、ドリンク代が\600だった。読み違い。どうしようもないTシャツを\3500で買う。お金がないから買うものがなくて逆に良かったけど。財布には百円玉が一枚と、五十円玉が3枚。計\250。いい大人の所持金とは思えない金額。

MONEY MARKによってマッタリさせられていたが、LE TIGREが登場し、その最初の音が鳴らされるや否や心拍数アップ。会場は一瞬にして彼女達に掌握された。なんだ?この楽しくてドキドキする空間は?そんな初めて体験する雰囲気だった。だが、俺がKathleenに求めるものは今日この日のステージにはなかった。曲の勢いやポップなノリ、聴き取れないながらもポリティカルな歌詞。これらは俺がBIKINI KILLがダイスキだった理由のいくつかだ。俺はKathleen Hannaの歌、というかBIKINI KILLのKathleenが歌う曲がスキだった。BIKINI KILLの勢いだけの曲も好きだが、BIKINI KILLはそれだけではなかったと思う。その両方が心の底からスキだった。うまく言えないが、LE TIGREにはその後者の部分が著しく欠けていると思う。歌心がないというか。REMIXアルバム『REMIX』なんてLE TIGREの原曲をズタズタに切り裂いただけに思えて俺には聴くに耐えなかった。BIKINI KILL解散後のKathleenのJULIE RUIN名義のアルバムもガッカリしたし。しかし、LE TIGREの“Sweetie”を初めて聴いたときは痛く感動した。だが、この曲のメロディはLE TIGREの本質とは異なるのかもしれない。

ハードなツアーで疲労もあるだろうに、ステージ上で楽しんでいる彼女達を見ると、こちらも心底楽しい気分にさせられる。もう‘元BIKINI KILLの〜’なんて枕詞は彼女には不要だ。新作『This Island』の日本盤を購入しようと考えた俺は、まだこの作品を聴いていない。もし、俺の求めるものがこの作品に入っていたらどんなに嬉しいことか。否、自分でもわかっている。BIKINI KILLとLE TIGREは共通点もあるが別のバンドなのだと。もうやめよう。LE TIGREとして聴けば、なんらガッカリすることなどあるはずがないのだから。

この次の日はBEASTIE BOYSの武道館公演の前座で出演するLE TIGRE。彼女達が武道館の広い空間を掌握する様を見届けたかったが、今日この単独公演を見られただけでも有難い。俺の求めるものがないことを再認識し寂しく思う部分もあるが、こんな楽しい雰囲気のLIVEは初めてだった。ありがとう。LE TIGRE。

LE TIGREに気をつけろ。さもないと、彼女達のLIVEに殺られてしまう。
2005年1月20日かくだ

OASIS @ 代々木第一体育館    2005年11月20日

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OASIS @ 国立代ゼミ競技場第一体育館
ラーメン屋「●楽l」が魂を売った。

とはいえベースとなるラーメンは相変わらず500円のままであり、値上がりしたのは実質トッピングとなる海苔やネギ、あるいは餃子等であるため一方的に糾弾することはできないのだが、この御時世に値上げとなると六本木のセレブ達とは対極に位置をなす川崎市民の僕には受け入れがたいのも事実である。店に入りセルフサービスの水を汲みながらメニューも見ずに「海苔」とだけ言うと将棋タイプの主任が「ハイ、海苔一丁」と穏やかに答えた。定位置の席に座ろうとするといつもと景色が違うような気がしたので、ふとメニューを見上げると寿司と寿司の間に挟まれているバランのように嘘っぽいプラスチックの板に一新されたメニューが書かれているではないか。つまり注文した後に値上げしたことがわかったのだが、髪を切る際にも「短めに」程度の希望しか言えない僕にいまさら注文を取り消すことなどできるはずもなく釈然としないまま海苔ラーメンを待つことになった。一度でもマイナスのイメージを抱くと嫌なところばかりが目に付いてしまうというものが人間である。コップに注がれた水はいつもより塩素を多く含んでいるような気がしてくるし、自動麺茹上げ機や湯きり機など人間の手作業より劣るのではないかという疑いの目を持ったまま出された海苔ラーメンのスープを口にした。味は変わらない。前のままである。

OASISも別に前とは何も変わっていないのである。メンバーが変わろうとも、新譜が出されるたびに2nd以降の最高傑作という扱いを受けようとも基本的に何も変わっていない。クリスマスを思わせる電飾で彩られたセットを背に角張った柔道着のような白い服装のLiamは相変わらず落ち着きのない動きでタンバリンを叩き、あの独特の姿勢で歌う。この南スタンド1階席からもはっきりと認識できる存在感はさすがといわざるを得ない。当然のごとく新譜からの“ライラ”もやるが“モーニング・グローリー”、“アクイース”、“リブ・フォーエバー”もきっちり聞かせるわけだから観客の手拍子が鳴り止むことは決してない。本当にお決まりのようにセットが進んでいき“ロックンロール・スター”で引き上げ、アンコールではフリーターが出席するような飲み会でも受けが良いと評判の“ドンルバキイナンガー”で大合唱となった。定番の心地よさ、OASISに求めるのはやはり安心感なのである。仮に新しいアルバムはもう作らないとしても人気が急に落ち込んだり、観客が減ったりすることはないだろう。ある程度の大きい会場である程度のチケット代そして最高の曲さえあれば他には何もいらない、それがOASISである。むしろ今までなかったような日本の洋楽オリコンチャート1位になったりするほうが疑わしい。不自然なことにむしろ気を付けるべきだ。そう、「●楽」の壁に貼ってある「インターネットで日本一のラーメン屋を決めよう!」とういうポスターのように。
2005年11月20日ybk

THE PIXIES @ 新木場スタジオコースト    2005年12月11日

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ピクサス@新・バッキー木場スタジオ高コスト
なんだか最近ツイていない気がする。細かいことを言い出したらキリがないくらいツイていない。細かすぎて忘れてしまっているけど。

だから、開演日の10日前だと言うのにPIXIES@新木場スタジオコーストのチケットを買えた時は嬉しかった。だが、これは全然ツイていたわけではなく、俺の勝手な妄想に反してチケットの売れ行きが芳しくなかっただけだった。クリエイティブ・マンの会員向けにタダ券が配られたほど。

チケット代は\7000と安くない上、現地に着いてからドリンク代が別だと知った。上着がかさばるので\300するロッカーも使用したし、Tシャツも買ってしまった。予定していなかった出費がかさむ。やっぱりツイてない。前座で興味深かったのが、ビークルのAngus Young(Ex.AC/DC)モドキのGuitarは、どう見てもシャ乱Qの頃のつんくにしか見えなかった点だ。それを除けば特に語る点もない。これからPIXIESが見られるっていうのに、テンションは最悪だった。やっぱりツイてない。

だがいざPIXIESのパフォーマンスを目の当たりにして、ホントに来て良かったと思えてきた。1999年、苗場に移って初めてのFUJI ROCK FESTIVAL開始直前、晴天の下、ステージ脇の木陰で寝そべって聴いたデブの曲“Whatever Happened to Pong”が素晴らしいと感じた思い出が頭を過ぎる。デブの声ってキモイけどカッコ良いことを再認識した。これほどキチンと曲が頭の中に入っているアーティストのライブは久しぶりだっし、オーディエンスの外人率は高いが平均年齢が高いのか周りに暴れるだけの輩も居なく、落ち着いて鑑賞することができた。ステージに居るのは太ったハゲと太ってないハゲとオバサン。唯一Durmmerだけがミュージシャンらしく見える。 歌も演奏も決して上手いわけではないが、デブの唯一無二の歌い回しを聴きながらKimを見ていると幸せな気分になれた。ロクにMCを挟まず次々に展開される曲群。あっという間の1時間だった。

だが先日走って帰宅した際に痛めたばかりの足には、3時間のスタンディングは酷だったようで悲鳴をあげていた。三十路を迎えた体を引きずって帰路につく間、スタンディングのLIVEはもう無理かもしれないと考えていた。やっぱりツイてないのかもしれない。
2005年12月11日かくだ

THE GOSSIP @ 渋谷O-EAST    2007年12月20日

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「デブりたくない。」

そんなふうに考えていた時期が、俺にもありました。

僕にとってのデブの閾値は体重70s。ここ半年位はすっかり72s代をキープしている。即ち、僕の定義からすれば、僕は既にデブなのだ。「私、脱いだらスゴイ(腹してる)んです。」 とでも言うべきちょいメタボ親父に成り下がっているというワケだ。

あ…ありのまま 今 起こった事を話すぜ!
『おれは「デブりたくない。」と
思ったらいつのまにかデブだった』
な… 何を言ってるのか わからねーと思うが
おれも何をされたのかわからなかった…

俺はすっかり三十路が板につき、少しずつ、しかし確実に強力になっていく加齢臭とは反比例して、身だしなみには無頓着になってきた。さらに、いつもLIVEに行こうと思う度に体力が心配になり、億劫になる。仕事も忙しいし。なんてカンジで、僕はネガティヴな思考回路が頭の中で常に起動している人間になっていた。今回、THE GOSSIPの来日公演を知っても全く盛り上がらない。しかしながら最近は他に気になるようなアーティストもなく、前回見に行ったLIVEであるPIXIES来日公演から二年と数日が経過していた。このまま順調にいけば、俺にとってLIVEを見に行くという行為は、オリンピックやサッカー・ワールドカップと並ぶ数年に一度のビッグ・イベントとなるのかもしれない。そんな全てのネガティヴな事柄から決別すべく、THE GOSSIP来日公演のチケットを購入したのが16日の日曜日。公演の4日前のことである。

俺のTHE GOSSIPとの出会いは2000年のHMV横浜店の、当時エスカレーター脇に設けられていたシングル盤コーナー。シンプルな白黒ピンクのジャケットと「K」のロゴで即買いした。聴いてみるとそのサウンドは大変好みだが、楽曲はイマイチ。それだけだった。数年後、中古で手に入れたファースト・アルバムを聴いてもその印象は変わらなかった。それに変化が現れたのが昨年。VocalのBethの存在がイギリスでクローズアップされ、僕にとって決定的だったのがDVD『BURN TO SHINE』に収められていたTHE GOSSIPの映像だった。その映像について、僕のブログから当時の感想を引用してみよう。

---以下引用---

どれだけ食ったらあの体系を維持できるのかと思わせるVo.の貫禄とファッションセンスとその動きにばかり目を奪われがちですが(踵の部分へのストレスを考えるとヒールが可愛そう)、小汚いGuitarの佇まいがダサカッコいいとでも形容すべき出来栄え。頭もシャツも汚くて、ワンポイントのカンバッヂもどうかと思うし、その動きも決してカッコよくないんだけど、その姿を観ていると惹かれるものがあります。一つ一つの事柄はダメダメなのに、この2人は何故だかとってもカッコよく見えるのです。不思議。

その2人のルックスとセンスにばかり脱帽していられません。その2人とは異なり、なぜだかDrumsは妙に男前で、ものすごくマトモに見えたんです。でも、このメンバー3人によるトライアングルに微妙な違和感を覚えたのですが、最初は全く気付きませんでした。何に気付かなかったのかというと、この男前に付いている胸の存在にです。3回目でようやく気付きました。違和感の原因はこれだったんです。アメリカ人にしては凄く整ったヘアスタイルだなぁと感心していたのに、女性ならではのセンスであれば少しは納得です。

そんなカンジで、そんじょそこらではお目にかからない個性的な3人の出すサウンドはとっても魅力的。たまたま聴いた曲が気に入って、さらにメンバーにカワイイ女の子でも居れば即座にファンになってしまうような俺ですが、この映像を観てからは、カワイさやカッコよさでは測れない魅力が存在することに気付かされました。

この映像が撮影されたときにはもう日が落ちていました。うまく説明できませんが、このバンドは昼間に見るものではない気がします。暗がりがよく似合っていました。このVo.がバーとか水商売系の店でも構えていてもおかしくないルックスだからでしょうかねぇ。

---引用ここまで---

まぁそんなカンジでベタ褒めだったのだが、その後最新作『OUT OF CONTROL』を聴いてはみたものの僕の気持ちは盛り上がらない。相変わらず僕の琴線に触れる楽曲が存在しないのだ。厳しく言えば彼女のVocalにしたって唯一無二という程でもなく、そのルックスから想像することは比較的容易ではないのだろうか。彼女の言動や行動、特殊なキャラクター(同性愛者でデブ)等のイメージが先行しているだけではないかと考えるようになっていた。THE GOSSIPはHYPEか否か。それを確認することも目的のひとつとしてチケットを購入。COOLなTシャツがあればそれをゲットすることも大きな目的であった。いや、そっちメインかも。そんな適当さ加減盛り沢山で公演当日を迎えた。

12月20日木曜日。スルりと会社を抜け、会場に着いたのが19時を回った頃。Tシャツの出来は期待以下だったが、イラスト入りのイエローのTシャツをゲット。グレーは汗かいて濡れたりすると色が変わって目立つからパス。Sサイズなのにデカイ。Beth仕様かと思いながらもそこそこ満足。オープニング・アクトのOOIOOにもそこそこ満足。で、用意されたミニマルなステージにGOSSIPの登場ですよ。目にするまではBethを例える言葉として‘巨漢’(おにゃのコなのに)、‘巨躯’といったものが脳裏にあったが、実際は実に小柄な女性であった。後半、オーディエンスの所へ降りてきたBethは完全に隠れてどこにいるか判らない。そんな身長だった。Bethはステージを縦横無尽に歩き回り、ゲップも含めてその叫びをマイクに叩きつける。『BURN TO SHINE』で見た映像が、今、僕の目の前にあった。いや、激しさや楽しさといった要素がより強調されている。セカンド・アルバムやLIVEアルバムは未聴だったせいか、半分くらいが知らない曲だった。正直、やはり楽曲は好みではない。しかし、目前で広がるポジティヴな空間は、僕をとても気持ちよくさせてくれた。

そして何といってもHannahですよ。髪がすっかり伸びて、『BURN TO SHINE』で見た人とは別人かと思いましたが、この叩き方はどう見ても同一人物です。本当にありがとうございました。どんなにハードに叩いてもずっと口を一文字に結んだまま、たまにBethとのコンタクトで見せる笑顔、全てメチャかわいい。終演後、セット・リストやドラム・スティックを配るHannahに恋してしまいました。おそらく彼女は同性愛者と思われますので、僕の恋が叶う可能性は大変低いでしょう。その前に僕が英語をしゃべれるようにならないと話になりませんが。

さて、Hannahさんがかわいいのでいつの間にか、です/ます調で綴るようになってしまいましたが気にしないように。もうBethがアカペラで歌った“Smells Like Teen Spirit”とか、アンコールでのBethのオッパイや三段腹のことなんてどうでもいい。Hannahばかり見てたので他には特に感想なし。Hannahを見られただけで満足。結論。THE GOSSIPはHYPEではない。なぜならHannahがかわいいから。以上。

でも一つ気になる点が。帰って買ったTシャツのイラストを見てみると、Beth、Brace、Stanとそれぞれメンバーの名前が書いてある。このStanと書かれたグラサンがHannahなのか?理解不能。

先週から今週にかけて、近年稀に見るほど一人で居る時間がたっぷりとあった。嫁と子供達があちこちのクリスマスパーティーに出席して居ないからである。なぜ俺がパーティーに呼ばれないかは置いといて。おかけで一人で買い物に出かけたり。食事は一人でないと行くことのできない家系のラーメン屋ですよ。この日も渋谷からの帰りにラーメンを汁を残さず平らげた。ここ数年は年に5回くらいしか食べていない豚骨ラーメンを一週間で4回も食べてしまった。Bethを見て、自分のデブの閾値に大きな変化があったのかもしれない。

僕は今、確実にデブっている。

先日の大掃除の際に、俺のクローゼットを整理していた妻に「同じようなズボンばかりあって多過ぎ。」とキレ気味に言われた。その20本程のズボンのうち、既に半分程度が太り過ぎではけなくなっていることは秘密だ。
2007年12月23日かくだ

KILL ROCK STARS Showcase @ 恵比寿リキッドルーム    2008年6月14日

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6月15日(日)は父の日。その前日である6月14日(土)は、長男の授業参観日だった。土曜日だというのに先生方も給食のおばちゃん達もお仕事ご苦労様です。

この日はまた、KILL ROCK STARS Show Caseの公演日でもあった。

このイベントはKILL ROCK STARS(以下KRS)所属の4組のバンドが一度に堪能できるというありがたいもので、そのラインナップはPANTHER、MIKA MIKO、XIU XIU、そしてDEERHOOF。KRSファンを自認していた自分ではあったが、これらバンドを全くフォローしていない事実から、それが偽りであったことを気付かされた。俺は単にRiot Grrrlというか、BIKINI KILLというか、SLEATER-KINNEYがダイスキなだけだったのだ。

何の事前情報もなく観た2人組のバンドPANTHERは、Vo.兼G.兼シーケンサ(?)の彼の縦横無尽なステージパフォーマンスが大変興味深く、楽しむことができた。しかし彼がGuitarを持ち出すとマイクスタンドの前から離れることが出来ず、2ピースの結構オーソドックスなバンドに成り下がってしまいちょいと残念であった。MIKA MIKOについては後述。XIU XIUについては新作を予習して望んだが、何も書きますまい。個人的には全く好みではないので何か書こうとすると全て愚痴になってしまいそうだから。

で、DEERHOOFですよ。歌っている人と太鼓叩いている人が夫婦であることも、浅黒い肌が脂ののりきった佐藤浩一のように見えるGuitaristが新加入のメンバーであることも知らなかった俺。このようにDEERHOOFについて全く知らない俺ですが、知っている曲を全く演奏らなくても、その全く緊張感のないLIVE(←褒めてる)は素晴らしく俺を惹きつけた。その中でも、新加入のロドリゲス君を高く評価したい。終始シューゲイズ気味で少々Guitarの位置が高めながらも、そのGuitarを操る一挙手一投足がすばらしく様になっており、そのカッコ良さに釘付けになった。もしこの俺が女性であったなら、この人になら抱かれても良い、と思ったことは内緒だ。

さてもう一つ内緒にしたいことがある。前述のように単なるRiot Grrrlダイスキっ子の俺が、密かに期待していたMIKA MIKOのことですよ。えぇ。

チョー若い。子供じゃん。お嬢さんたち、おいくつですか?

彼女たちが登場して演奏を開始するや否や、俺はかつてLIVEで体験したことのない複雑な感情に居ても立っても居られなくなった。この感情を一言で言うと、『恥ずかしい』である。この感情について冷静にもう少し分析してみる。自分が今ここに居るという事実を、お金を払って若い女の子を見に来た、という行為として捉えたため後ろめたさを感じたからだろうか?いや、違う。これはこの日の午前中、長男の授業参観での俺の心境と同一のものだ。

つまり、彼女たちの稚拙なパフォーマンスを見ていて、彼女たちの父親の心境になっていたのだ。失敗するんじゃないか、恥をかくんじゃないかとハラハラドキドキしていたのだ。授業参観で落ち着きのない我が愚息を見ていて、恥ずかしいからもう止めてー、俺のライフはもうゼロよー、という気持ち。ステージで楽しそうに精一杯演奏している彼女たちを見て、楽しむわけでも応援するわけでもなく、ただ無事に終わりますようにと願っている俺。彼女たちがいくらキュートであったとしても、女性としてではなく娘として見てしまったらしい。娘のお遊戯を見に来ている父親というわけだ。要するに俺がオッサン化していたのである。

さて一体高いチケット代を払って、なんで早く終われなどと思わなければならなかったのか。もう若い人たちのLIVEを見に行くのは止めよう。そう決心した初夏の夜、俺はMIKA MIKOのCDをクローゼット奥にあるMETALのCDがテンコ盛り詰め込まれた収納箱へ封印するのであった。
2008年6月14日かくだ